6話 やまのした

 わたくしこと高尾たぬ子は、現在人間に化けている。
 幼馴染みこと森山コン介と、保護者代理こと板地テンと共に数年ぶりに山を下りた。既に夕日は山の陰に隠れつつあった。山を下りただけなのだが、結構な時間がかかっている。それに二本足はどうにも慣れなくて、体も疲れていた。
「二人ともお腹空いてる? なんか少し買って、食べながら帰ろうか」
 たぬ子は「うんー」とも「ぬんー」とも聞こえる声で応じた。その隣でコン介は今にもケモノの耳が生えそうなほどピピンと背筋を伸ばし「食べる! 何があんの、テンさん? 俺、何でも食べるよ!」と早口でまくし立てる。
「……コン介は本当元気だよな……。そんなに”ニンゲンサマ”が好きかよ」
 皮肉たっっぷりにたぬ子が呟いたところでコン介は全く気にしない。寧ろ、嫌みにすら気がついていないほどである。
「バカだなあ、だからたぬ子もリフト使って降りればよかったんだって。普段運動しないのに急に運動するから」
 年相応なのか年甲斐もなくなのか、コン介は三人の中でも一番元気であった。
「なんであんなに元気なんだよ……」
「たぬ子は疲れた?」
 だいぶ呆れ気味のたぬ子の横でテンがクスクス笑いながら聞く。たぬ子は小さな声でぼそりと「普通……」とだけ答えた。
「駅にジェラート屋さんがあるから、それ食べながら帰ろっか。ジェラートならたぬ子も好きだろうしね」
「『ジェ……」
「『ジェラート』って何!?」
 聞き慣れない言葉への反応はそれぞれであったが、二人とも大いに興味を示した。たぬ子の気だるげな瞳の奥に興味の光がちらりと射した。
 テンもまた二人の初々しい反応を見るのが楽しくてたまらないでいた。テンの心の中のむさしが「あまり甘やかしすぎるなよ」と釘を刺すのに言い訳をして、駅構内のジェラートショップに向った。
 高尾山駅に隣接する形のジェラートショップはイタリアンレストランになっており、店内での飲食の他、足湯なども楽しめる。扉を開いてそっと中に踏み込むと、仄暗い店内は多くの人で賑わい、美味しそうなニオイが立ちこめている。ごくん、と唾を飲んだたぬ子が後ろに続くテンを振り返ると彼女は「いいからいいから」と入店を促した。勢いよく先頭を進んでいるコン介はコン介で、内装から掲示物まで何もかも気になって仕方が無い。「コン介コン介、後ろがつっかえているぞー」というテンの声も馬耳東風ならぬ狐耳東風である。
「アイスだ……!」
 ずらりと並んだジェラートの前に”やっとたどり着いた”コン介が呟いた。たぬ子も一歩後ろからそれを見て、大きく目を見開く。
「……本当だ……!」
「これが、あの、『好きなやつを選ぶと盛りつけてくれるアイス』……!!」
「……違う、いや、違わないけど、コン介、しかもこのアイス、見て……丸いアイスじゃないよ……これ、平べったく盛りつける『レアな方のアイス』だよ……!」
「……ッ!!」
 まるで探検家だなあと思いながら眺めていたテンに四つの目が向けられる。
「好きなの選んでいいよ。ただしシングルね。1種類だけ」
 ぱあああっと、二人の表情に喜びが滲んだ。「花が咲いた」という表現が、これほど似合う表情も珍しいだろう。そういえば、この間テレビで人間の偉い先生が「漢字の『咲』という字はね、『笑』という字の仲間なんです」なあんて言っていたっけ……テンは漠然と考えていた。知らなかった。こういう意味だったんだなあ。
 その間にもたぬ子とコン介は真剣にどれを選ぶかごにょごにょと声を潜めて相談しあっている。
「二人で違うの選ぶ、そして分ける! これでいこう!」
「オッケー! コン介、もし2つで迷ったら言ってよ、もしかしたら被るかもしんないし!」
「リョーカイ!」
「フランポワーズ!? フランポワーズって何? 木の実系?」
「いや、わかんね。寧ろカタカナが多すぎて『抹茶』くらいしかよくわかんない!」
「取り敢えずなんか全部美味しそうな感じはわかるんだけど、フランポワーズって何さ?」
「だから知らねえってば! 寧ろ『みるくの黄金律』が気になる! 何? 『黄金律な牛乳』って何!?」
「なにそれ!?」
 小さな大会議が大凡まとまる頃、店の奥から忙しなく動いていたスタッフの女性が近付いてきた。たぬ子とコン介の肩に少し力が入る。頃合いを見てテンが手を上げ、呼んだのであった。
「なんにするの?」
 テンが二人に聞く。
「あ、え、え、ええと、フラン、ポワーズ、というものを……」
「あ、俺は、この、みるくの黄金律ってやつ……」
「と、バニラをシングルでひとつずつ」
 下がり気味の二人の声を持ち上げるようにテンが注文し、財布からいくらかの紙幣を出して会計を済ませる。慣れたもので人間と寸分変わらず、さすが、街で暮らしているほどのことであった。人間どころか獣でさえ、彼女が本当は「哺乳綱食肉目イヌ亜目イタチ科テン属」であることを見抜けないかもしれない。いや、見抜けないだろう。初対面ならなおのこと。
 たぬ子はその様子に、ぽつりと、「……すごい」と零した。羨望と尊敬が入り交じっていた。たぬ子の心の奥底に、テンのようになりたいという小さな気持ちが生まれていた。

挿絵 蒼魚

 三人は駅の片隅でわいわいとこれまた賑やかに盛り上がって食べた。「飲み物はいいけれど、あからさまにものを食べながら電車に乗るのは行儀が悪い」ということをたぬ子とコン介は初めて知った。
「じゃあ駅弁ってやつは?」
「それは何時間も乗り続ける時かな。普通はね。うちまでは30分くらいだし、電車の中では手も洗えないからね」
 それから二人はPASMOを買ってもらった。
「このカードが、お金なの?」
「お金というより、お財布だね。電車に乗る前に切符売り場で現金をチャージ……つまり、このカードの中に入れるんだよ。人間的な特殊技術で。そうすると、お金がデータ化して、このカードの中に収まっちゃう。電車に乗る機会が多いときはいちいち切符を買う必要がないから便利なんだよ」
「へえ……こんなカードに……」
「ちっちゃい頃に親父と電車に乗った時は、切符だったなあ……」
「もちろん切符も使えるよ。どっちも使えるようになろうね」
 改札ひとつをくぐることさえも手取り足取り教えてもらいながらたぬ子とコン介は新しい自分の寝床となるテンの家に向かった。あれこれ聞いていたおかげですっかり陽は暮れてしまっていた。
 テンの家は高尾山と新宿のちょうど真ん中あたりにあった。駅自体が小さな作りで各駅停車の電車しか止まらない。電車の種類を間違えないようにしないと帰られなくなるぞと冗談交じりながら真面目に脅された。駅前からほぼ住宅街で、まばらに人が行き交う。小さいながらも農用地があったりと高尾山の麓より少し静かで過ごしやすそうな場所だった。「板地」と書かれた表札の前には二階建ての一軒家。その横に小さな道があり、奥に全六部屋の小さなアパートがあった。此処が新しい二人の拠点となる。二人以外にはもう二人……いや、二匹の入居者がいるらしい。
「たぬ子は201号室、コン介は101号室ね」
 テンはざっくりとした説明をして、それぞれの鍵を渡した。
「取り敢えず荷物を置いて、部屋の雰囲気見てきてね。そしたらうちで晩ごはんにしよう。色々言うこともあるから」
 促されるままにコンクリートの道を進む。外にある階段を一歩一歩上る。ガチャンとコン介が自室のドアを開ける音がした。それから次にはバタンと閉まる音。金属製のドアノブはひんやりとしていて、鍵を開けるのに時間がかかった。ガチャガチャと悪戦苦闘していたら、カシャンと音が変わった。それからまた頑張って鍵を引き抜き、恐る恐る部屋の中に入る。真っ暗だ。靴を脱ぐ時に壁に手をついたら、ボタンに手が触れた。パチンと押すと、真っ暗な部屋が照らし出される。小さなキッチン、ベッド、閉められたカーテン、小さな机と椅子。初めて踏むフローリングの床は冷たくて、知っているけれど見慣れない形の家具を前にした瞬間にたぬ子はどっと背中にのしかかられたような恐怖感を覚えた。息ができない、大きな不安。

 ああ、自分は、なんて遠くに来てしまったんだ。

 言葉にならない気持ちを、心がやっと形にした瞬間、たぬ子は膝からがくんと崩れてそのまま座り込んでしまった。

【つづく】

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