8話 テンの家

「テーンーさーん、あっそびましょー?」
 悪友こと森山コン介は板地家のインターフォンをリズミカルに連打しながら、楽しげな声を上げた。私こと高尾たぬ子は三歩後ろで咎めもせずにそれを見ている。触らぬ狐に祟り無し、触らぬテンにも祟り無しである。南無阿弥陀仏。
 コン介の鳴らすインターフォンが一種の打楽器じみてきた頃、大きな音と共に玄関のドアが勢いよく開く。
「……コーォン介ェェ…」
 激しく開かれたドアとは対照的に、テンがゆっくりと顔を覗かせる。やや童顔にそぐわぬ低い声、目鼻立ちは整っているのにあからさまに平べったい笑顔、それから明らかに威嚇の怒気に満ちた眼。鬼気迫る様には彼女が山を下り、人間の男性と結婚し、四人の子供を設けた後も、決して野生を忘れたわけでは無いということを二人に再認識させる。
 現行犯たるコン介はインターフォンを指したまま、空笑いを返す。
「……あんたはあとでゲンコだよ。ったく、ご近所さんの迷惑になるから、早く入っておいで」
 そういうとテンは来客用のスリッパだけ出して、玄関のドアは開け放ったまま家の奥へと引っ込んでしまった。
「……あーあー」
 たぬ子はちらりとコン介を一瞥する。我関せず、自業自得だザマーミロと言外に滲ませて、彼の横を擦り抜けさっさと先に玄関へ入る。
 一方でコン介は気にもとめず、そして全く反省の素振り無く、両腕を上げて手を頭の後ろで組んでいる。
「だって仕方ねーじゃん。見れば見るほど押して下さいって雰囲気だし、そもそもピンポンダッシュ自体がやりたかったことベスト10のひとつでもあるし。ダッシュしてないんだけどさ」
 唇を軽く尖らせて臆面もなく言い放つ。
 たぬ子はそんなコン介を尻目に、小さな溜息をひとつ吐く。昔からこの化け狐はどことなく他を見下した様な傍若無人さがあった。今更インターフォンのひとつふたつを戒めたところで、所詮蛙の面に水、狐の耳に念仏である。寧ろこの化け狐に至っては一通り念仏を聞いた後に「でも最強は稲荷大明神」とでも断言するだろうから尚更タチが悪い。
 そんなコン介を無視して先に靴を脱ぎながら、たぬ子は視線を落とす。そして、わざわざ振り向いてコン介を見る。人差し指は下へ。つられてコン介の視線も下へ。テンが出した来客用スリッパ。だけども一足しかない。
 その意味にコン介が気付くまで数秒、たぬ子はさっさとスリッパに履き替え、テンが消えたダイニングの方へと向かった。

「さてさて、それじゃあ、いくつか説明を始めようか」
 子供たちを寝かしつけたテンとテーブルを挟み向かい合う形で、たぬ子とコン介はダイニングの椅子に座っていた。
 コン介は先程テンからゲンコツを食らった頭をしきりに撫でている。インターフォンを押しまくった制裁に加え、人間の家に上がる時にはスリッパくらい履けとも怒られたのだ。コン介の分のスリッパを出さなかったのはテンなのだから、さすがにたぬ子も少しばかり理不尽だと感じた。

 でも、思い返せば最初から、このひと板地テンは機嫌が悪いときと誰かを叱るときはたいてい不条理な獣であった。その八つ当たりじみた怒りの矛先は、しばしば彼女の幼馴染み兼現山長代理の武佐飛むさしに向けられていた。生真面目で冗談のきかないむさしだからこそ、テンを静止しフォローもできたのだろう。
 たぬ子は思い出す。まだ山にいたテンとむさしのやりとりが漫才と呼ばれ親しまれていたころ。「漫才じゃない!こっちは真面目なんだよ!?」とムグムグ怒っているテンと、その隣で「俺だって真面目だ」と首を傾げるむさしのこと。たぬ子は今よりもっと小さな子狸で、二人を囲んで笑う山の仲間たちが大好きだったこと。

 懐かしさを覚えながら、テンが配った少し厚めの冊子と、スマートフォンを前にする。
 たぬ子の胸はドキドキと高鳴って、人間の耳がたぬきの耳に戻ってしまいそうな気分を押さえ込むのに必死だった。それもそのはず、冊子には「旅のしおり(人間 – 都心部)」と書いてある。厚さは2cm程だろうか。この一冊に未知の世界が詰まっているのだと思うと、ドキドキはワクワクに変わる。
 ふと隣を見ると、コン介は既に冊子を手に取りパララララーッと流し読んでいた。
 たぬ子が戸惑うとほぼ同時に、テンが同じ冊子を筒状に丸めたものでコン介の頭を軽く叩く。
「全く、コン介は調子に乗りすぎ!」
「だっておもしろいから!」
「少しはたぬ子を見習って、黙って話聞け!」
 二人がじゃれるように言い争う様子を横に、たぬ子はぎこちなく笑った。礼儀正しいとかではなくて、慎重というか緊張しているだけだとは言いにくい空気だった。そして、こういう時にむさしが居たら上手く間に入れるのかなあと、山に残る兄貴分を想った。

 コン介とのやりとりが一段落したタイミングで、テンは肩を竦めてストンと落とす。
「で、話は戻るのだけれども」
 たぬ子に一瞬向けられた視線に微かに滲む詫び。たぬ子は気にしていないという明るい顔をして小さく頷いた。そしてすぐさま話に割って入ろうと口を開き掛けたコン介の脛を踵で蹴る。
 それほど強く蹴ったわけではないが、慣れない二脚の片方を、隣に座る狸に蹴られたのである。テーブルの下が見えないので本当に隣からの攻撃か確認できない。不意打ちは卑怯と思っているうちにテンが話を進めてしまう。
「見ればわかると思うけど、こっちの本がガイドブック。買い物の仕方とか電車の乗り方とか、今日教えたことも載っているから各自ちゃんと読んでね。……って、言わなくても皆、明け方まで読みふけっちゃうみたいだけど」
 テンの経験と予想を裏切らない好奇心に満ちた眼が、目の前に四つ、リンリンと光っている。小さな失笑を零して、テンはもうひとつの支給品、スマートフォンを手にした。
「これの使い方も、そのしおりに書いているから見ておくようにね。これは防犯ブザーと同じ特注品で、二人がどこにいるかわかる仕組みになってるんだ。だから、ブザーかスマホのどちらかは常に持っておくようにして、もし無くしたらすぐ私に知らせること」
 小さく頷くたぬ子の横で、コン介は早速スマホを手に取る。液晶画面を興味深げに見て、何気なくひっくり返して声を上げた。
「わ、これ、カメクスペリアじゃん!!」
 目をまん丸くしてテンを見る。テンがニヤリと笑う。
「カメクスペリア?」
「亀爺が役員をしてる大手企業『カメノコ』の超人気スマホのことだよ!! 人間も獣も御用達で、搭載してるカメドロイドがAndroidとiPhoneのイイトコ取りになってて最近ユーザーがめっちゃ増えてる第三勢力! ん? でもこれ……あ! もしかしなくても発売前の最新機種?! マジで!? やべー!! テンさんマジでこれいいの!?」
 一瞬にしてテンションを上げたコン介の横で、たぬ子はあっけにとられてしまった。コン介が人間好きなことも、人間社会の流行り廃りに敏感なことも知っていたが、たぬ子にはてんでわからない。
「取り敢えず、すごいもの、ってこと?」
「あー、わかりやすくいうと、定価で8万円くらい?」
「ヒエッ」
 コン介が示した価格に、たぬ子はぼふっと身を竦ませる。驚きのあまりに尻尾が飛び出てしまった。身震いしながら尻尾を握り、テンに救いを求める。
 テンは微笑を崩さずに二人の様子を眺めて、小さく息を吐いた。
「普通はこんな高いモノ用意しないんだけどね、今回は特別というか、コン介。あんたの友達からの、プレゼントだよ。大事に使いな」
 一瞬、テンにつままれたような顔をしたコン介は二、三回瞬きをして、それから譜に落ちた様にカメクスペリアに視線を落として微笑む。その表情には先程までの傲慢さもミーハーさもなく、細めた目には思い当たる誰かへの温情が滲んでいた。
 二人のやり取りを聞いていただけのたぬ子もまた、このような高価なものを、友人たるコン介のみならず自分の分まで用意してくれた誰かに深い感謝を抱いていた。そしてその雅量溢れる誰かは、コン介にとってとても大事な存在なのであろうことを察する。
 食物連鎖と弱肉強食は世の常、自然社会の常だけれども、見えない繋がりはたぬ子に強いこそばゆさを感じさせた。それは不快感ではなくて、温かくて穏やかで、優しい気持ちになれるもの。たぬ子の語彙で表現しきるには非常に難しい感情だったけれども、今形作れる言葉でいうならきっと「ありがとう」が一番近いのだろうとたぬ子は思う。当たり前でありきたりだけど、感慨深い様子のコン介を見てしまうと、自分も何かで応じたいと感じてしまうのであった。

「さて、しんみりしている所で悪いんだけど、今日は解散。二人とも晩ごはん買っておいで、そこのコンビニまでね」

【つづく】

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