ジャパニーズ・テイスト・ロンリィ

――お前さ,毎回毎回メシ添付してくんの何? 帰りたくなるし。

スーパーのレジ打ちのパートを終えて暗いアパートに帰ってきてみると、昼に送ったメールの返事も返ってきていた。
ずっとマナーモードにしていたから、時刻を確認する為に携帯を開いてみるまで全く気がつかなかった。十八時。梅雨特有のじっとりと生温い風が伸びかけの髪をさらい背中を撫でていく。
それならとっとと帰ってこいよ、と悪態をついて私は携帯をたたんだ。
駐輪所の片隅で、欠けた植木鉢がただぼんやりと遠くを見つめたまま転がっていた。
鉄筋の階段を一段一段踏みしめるようにのぼりながら、私は先程のメールへの答えと晩飯の献立を同時に考える。なんと答えればいいかわからなかったのと、今日が特売セールだったからだろう。無性に空腹を感じていた。アパートをぐるりと取り囲むコンクリートの小さな塀の上で三毛猫がくあ、と大きなあくびをした。
私が祐斗へのメールにしょっちゅう食卓の画像を添付しだしたのは、ここ数週間の事だ。
年齢は私より二つ上だが二年浪人した彼は、大学に隣接した病院で小児科医のぺーぺーをやっている。浪人、というと妙に聞こえが悪い。だが『当時最高の施設及び教育が受けられるレベルの高い大学に入る為、二年をその糧へと費やしたのです』と長々しくいうのもなんだか過剰な気がしないでもないし、実際予備校生だったのには変わりがない。考えても頭が痛くなるだけで疲れるだけだ。
その大学病院に小児科の世界的権威とも呼べる、三流大文学部卒の私にはスッカリサッパリな人物が、来訪したのがちょうど今から一ヶ月前。そして、その人の指導にあやかれるとして祐斗がアメリカに渡ったのが三週間前になる。更に付け加えるなら祐斗が日本を発った日は私たちが結婚して九ヶ月三週間目に当たり、その一週間後から私の左上の奥歯が虫歯で痛む様になった。
最初は確か、祐斗がいない間に料理のレパートリーを増やそうとして実験的に作っていたものを話題として送ってみたのがきっかけだった気がする。
こげ茶が少しきつめの肉じゃが。レトルトパックを使わない酢豚。祐斗が好きなパスタをいろいろ。味はどれも特別おいしいとはいえなかった。だからこそ笑い話になった。「帰ってくる頃にはもっと上達してるよ」「楽しみにしてる」と、文章上で笑いあう。時差のせいでなかなか時間の都合が合わない私たちの、ささやかな楽しみだった。
それがいつ頃からか私の中で一方的に習慣化していった。気付けば三、四通に一通の割合で料理の画像が添付されている。祐斗が呆れるのも、わかる。
しかしなかなかやめられないのだ。料理をダイニングテーブルに並べると無意識に携帯を取り出して撮影している。メールの返事を打つ度に、まだ送っていない写真を添付している。ああ、癖になってると楽天的に構えて添付を解除して送信した後に残る、形容し難い胸のもやもや。灰色の空気と一緒に喉をせり上がってくる不安や焦燥。
それから逃れる為に私は写真を撮り続ける。添付し続ける。一方的なエゴの押し付けと頭では理解しているつもりなのに、どうしても敵わない。まるで麻薬か何かだ。
昼は人参ときのこで作ったかき揚そばを送った。大したものは入れてないがなかなか美味しかった。さあ、何を作れば良いだろう。
色々と考えているうちに、足は『十川 祐斗・紗枝子』と書かれた表札の前で止まる。学生時代にデートで行った水族館で祐斗が買ってくれた白いあざらしの財布を取り出す。立派に使い込んで茶けてしまった私お気に入りのキーケースだ。
鍵を取り出してドアを開けようとする。しかし、なかなか開かない。ガチャッ、ガチャと金属が擦れる耳障りな音がする。部屋は、間違えてなんか、いない。表札には『十川』の文字。そうだ、レジの打ちすぎで左手が鈍っているに違いない。右手に持ち替えて再度鍵を握る。ガチャッ、ガチャッ、ガチャッ。穴の中で何かに引っかかっているんだろうか。或いは年季の入ったアパートだ、渋くなっていてもおかしくはない。
管理人さんを、呼ばなきゃダメかな……。ガチャリ。
諦めかけた時にやっと、涼しい音がして鍵が回った。一気に緊張が解ける。
太陽の光はもうほとんどない。開け放たれたカーテンからガラス窓越しに届く紫色の残り日が弱々しい。隙間風が窓の端へと追いやられたカーテンの裾をいじけた様に揺らしていた。
リビングに入り、カーテンを閉める。蛍光灯から伸びる紐を二回ほど引っ張ってやると室内にぱっと真っ白い光が満ちた。額を照らす明かりはしっかりと片付けてあるそこを隅々まで照らし、一人の寒さが身に染みた。
私がどれだけ片付けても、ものの数時間で祐斗は何かを出しっぱなしにして、叱られては「片付けは苦手なんだって」と悪びれもせず言い訳を並べて。
うさぎは寂しくて死ぬというけれど、もしかしたら人間だってそうかもよ。
ははっ、と空笑いを零して私はショルダーバッグをソファに放る。台所へ行き同様に蛍光灯を灯して冷蔵庫を開けた。減りが少なくなった麦茶の瓶が居心地悪そうに立っている。野菜室をあけて、サラダを作ろうと思った。レタス、しめじ、もやし、キュウリ、トマト……。ああ、トマトは今朝切り分けたのが残っていたはずだ。野菜室を閉め先程の扉を開く。切り分けてラップしてあるトマトと、麦茶をどけて奥からノンオイル和風ドレッシングも出した。
サラダだけじゃ、腹持ちも栄養も悪い気がする……。チルド部屋からブタバラ肉のスライスも出す。冷凍庫に、まとめ湯でして小分けにしたスパゲティがある。和風のサラダスパにしよう。
カッチカチに凍った一食分のスパゲティを電子レンジに入れて三分、同時にガスコンロに水で満たした鍋をかける。
レタスはちぎって、ブタバラ肉とキュウリはそれぞれ半切れを適当な大きさに切って、そうこうしているうちにレンジが声を上げる。じゃばじゃばとしぶきを上げてスパゲティを流水で冷やしているうちに、今度は鍋が沸騰してゴポゴポ唸り始める。豚バラ、しめじ、もやしテンポ良く投入して菜箸で軽く掻き混ぜて火が通ったらすぐにザルへ、さっきと同じ要領で冷やす。水しぶきが飛びかう。
全てをボウルに入れて和風ドレッシングで和え、塩コショウを振り、食器棚からカレー皿ではなく涼しげなガラスの器を取り出す。混ぜ合わせただけのそれが少しでも見栄えが良くなるようにトマトとキュウリの位置をずらしてみる。ダイニングテーブルに運び、コップに麦茶を注いで添えた。
ポケットから携帯を取り出す。カメラを起動、設定変更、明るさ調節+1。スポット撮影モード。
液晶の真ん中にぽつん、と点線の四角が現れる。真上九十度からその中にサラダスパが入る様に背伸びし身体をねじる。シャッターを切るとカシャッと小気味良い音が辺りに響くと同時に画面がピンボケに歪みそれからゆっくりと画面が切り替わって、一番鮮明な映像を残す。トマトの粒まではっきり見える。ようやく、出来上がりだ。液晶画面の時刻を見ると、七時にもなっていなかった。
私は携帯のフリップを閉じてポケットに押し込む。席に着き、フォークを握る。
食べ終わったら、祐斗にメールを返そう。食べながら、メールの答えを考えよう。
――お前さ,毎回毎回メシ添付してくんの何? 帰りたくなるし。
もやしとレタスを噛み締めながら、先程のメールを頭の中で反芻する。
なんでだろうね。寂しいからかな。
テーブルの上で朝食味付け海苔が困った様に、かといって何も出来ずに場所を占めていた。私は、味付け海苔を食べない。だから誰かさんがいなくなると、この海苔は途方に暮れてしまう。
祐斗は五週間の研修を終えて、来月の頭に帰国する予定だ。丁度結婚十一ヶ月目に帰ってきて、一緒に一周年を祝う。
なんてもどかしいんだろう。帰りたくなるなら帰ってきてよ。
そしたら毎日朝昼夜、貴方の為にご飯を作るよ。味付き海苔がなくなったらまたスーパーで安く買ってくるよ。焦げた肉じゃがでもレトルトパックじゃない酢豚でも、望むなら何だって作るよ。
ホームシックにでもなってしまえ。結婚十ヶ月目を私と共に祝おうじゃないか。
味付け海苔を見つめながら一口飲んだ麦茶が、ツンッと左上の奥歯に染みて、私は両目を細めた。

 

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