メロン

『夏』という単語で何を連想するだろうか。海、雲、真っ赤に熟した甘いスイカ、ぎりぎりまで溜め込んだ宿題の山……、十人居れば十人分の『夏』があるだろう。
私にとって『夏』といえば『メロン』だ。スイカに比べたら若干見劣りはするかもしれないが、極々有り触れた答えだと我ながらに思う。しかし、中心がとろりと薄い黄緑に染まった甘いメロンを食べる度にしみじみと思うのだ。ああ、今、私は夏に満たされているのだ、と。
小学生の頃、夏休みになれば毎年母に連れられて、地方で農業を営む祖父母の家へと遊びに行った。
玄関を開くと、ひんやりとしたコンクリートの広い土間から冷気が流れ出る。乱雑に並んだ親戚の靴の隙間にスニーカーを脱いで居間へ上がれば、次は煙草と料理と畳の温かい空気が私を包み込んだ。
年にせいぜい一、二回しか顔を合わせない幼い従兄弟達が初めて机に腰掛けた新入生みたいにちょこんと母親に寄り添って黙って周囲を伺っている。大人は懐かしい顔ぶれに愛想と親しみを振り撒いて、時々「また大きくなったなぁ」と笑う。子供達は皆、「別に好きで成長する訳でもないんだけどね」って顔で取り敢えず頷いておく。
私の母は旧家の本家から嫁に来たから、盆や正月は誰かしら親戚が集まっての宴会になる。だた、祖父母の家は積雪の多い地方の為に冬は交通が不便だからか、正月よりは盆の方が人も集まり盛り上がる。それに、それぞれ嫁入りした母の姉妹は、正月に夫の実家を訪ねるているという事もあるのだろう。
宴会が終わりに近づき、大人がアルコールで頬を赤く染め、子供達の退屈が限界になる頃、祖母はいつもすっと立ち上がり席を外す。そして、涼しげで大きな大きなガラスの器に山ほどの冷たいメロンを持ってくるのだ。
私は何度か目にした事がある。サッカーボール程もある大きな大きなメロンは冷蔵庫の野菜室の一番下で毎年出番を待っているのを。祖母は其れをよっこらせ、と取り出して必ず切る前にお尻の匂いを嗅いだ。
「ばあちゃんたちが、一生懸命作っとるメロンだっけさ」「味が良いやつは、お尻が甘くて良い匂いがするんさ」
傍によって私も鼻を近付けてみる。キュウリとリンゴが混ざった様な、嫌味の無い青臭い香りがふわりと漂った。だけど、それが甘い匂いなのかまでは私には判断が出来なかった。
全体に細かく複雑に刻み込まれた網目にさっくりと包丁を入れると、透明な汁と黄緑色の果実が現れる。甘い香りが台所に満ちる。
祖母はメロンを、何処かのレストランに出てくるみたいに三日月型に切り皮を付けたまま一口大の切れ込みを入れておく様な洒落た切り方をしない。縦に四等分にしたら生ゴミ入れの青バケツの上で豪快に包丁の背で種を落とし、リンゴの皮を向く様にさっくりと皮を剥ぎとってしまう。
「メロンでウサギは作れないの?」と尋ねると、「皮が固くて身が柔らかいのさ」と祖母は朗らかに笑った。
丸裸にされた四等分のメロンは、ざっくりざっくりと小さく歪なサイコロ状に切られていく。祖母にしてみれば其れが恐らく一口分なのだろうが私を含めて年端もいかない子供にとっては二口、三口分の大きな塊だ。
ガラスの器に盛れるだけ盛って、オードブルが片付けられたテーブルの真ん中に置かれると私達は一斉に歓喜の声を上げて我先にとフォークを刺す。頬張ると砂糖菓子より甘くてスイカの様にさわやかな青い味が口いっぱいに広がる。キュウリより柔らかくて、アイスクリームよりも優しく暑さに疲れた体を心地よく冷やしてくれた。それまで談笑していた大人達が「俺も酔い覚ましに一口」とこっそり箸を刺していく。
網戸越しの夜風が火照りが治まりつつある頬をそっと撫でていく。扇風機が小さな唸り声を上げて首を振り続けていた。嗚呼、鈴虫の声が遠く聞こえる。田舎の夏は、短い。
夏休みが終わると、従兄弟たちは方々に、私も電車と新幹線を乗り継いで遠くの街まで帰ってくる。空が白く霞んで星が見えなくなり、夜になっても喧騒が遠く聞こえてくると私は、帰ってきたと一息つけたものだった。……うさぎ追いし、とかよく云うけど、結局「ふるさと」って、何処にあるんだろうな。

私が中学に入ると、学業や部活が盛んになったり父の転勤が決まったり、不景気の皺寄せが回ってきて、祖父母の家へ行く機会は目に見えて減った。
夏休みの帰省はいつの間にか時期が春休みへ変わり、お盆のお小遣いは進学祝いになった。
高校に入ると更に回数は減少し、入学式に一度祖父母の元へ挨拶をしに行って以来、帰省も含めて家族で旅行に出かける事はほぼ無くなった。
だがしかし、帰省をした年もしなかった年も、私が生まれてからずっと、毎年夏になると必ず祖母は私宛の名義でメロンを送られてきてくていれる。
「学校は楽しくやっていますか? また遊びにきてね。おいしく皆で食べてください」
「今年は天気があまり良くなく、少し渋みが出てしまいました」
「皆、元気にしてますか? おばあちゃんは最近、少し体調を崩していておじいちゃんに頼っています」
「今年のメロンはおじいちゃんが作りました。おばあちゃんのメロンとは、味が違うかもしれません」
そんな近況を綴った短い手紙が毎年同封されていた。
しかしいつの間にか、その手紙も途絶え、夏にはメロンだけがぽつんと詰められた段ボールが送られてくるようになっていった。
私が高校二年生の時、不景気の煽りを受けて、専業主婦だった母がスーパーの夜間パートを始めるようになってから、私は両親と完全に擦れ違う生活になった。特別仲が悪かった訳でもないが、べったりと依存していた訳でもない。生活していく為には仕方ないのだと思える程度に大人で、別に両親との会話が減少してもなんとかなると浅慮な程度に子供だったのだと思う。
高校三年の夏休みが終わって直ぐのある日、私はその年に送られてきたメロンが一玉、野菜室の奥に埋まっているのを見つけた。
私が塾から帰ってくる時間には母はパートに出かけてしまっていたし、父は昇格も相重なって毎日深夜まで残業が続く日々だった。夕食は作り置きがいつもの様に残されていたが、残暑が厳しい年だった為だろうか食欲と云った食欲がいまいち出てこない。
私は冷蔵庫からメロンを取り出し、お尻に鼻を近づけた。つん、と青くて甘い甘い瓜の匂いが鼻を刺した。まな板の上に乗せ、包丁で半分に切る。甘ったるい香りが広がり、薄黄色の汁が溢れでた。完全に熟して柔らかく、中心に近くなるにつれて黄色が濃くなってしまっている。果実を削らない様に、包丁の背で種だけ削ぎ落す。複雑に入り組んだ網目の皮を剥き、一口大に切って皿に乗せてみた。一人で食したメロンは、ほんの少し渋みが出てきていた。

「ごめんね」と、母が頭を下げた。大学に入ったばかりの初夏の事だった。
それを他所に私は、火葬場が白っぽい外観なのは、黒い喪服を大量に収めるからじゃないかと上の空で唯漠然と考えていた。
六月のある日、遠く離れた田舎の病院のベッドの上で祖母はたった一人息を引き取った。実はずっと大腸癌だったらしい。
私が中学二年の頃――そう、それは手紙が途絶える前年に――祖母は診断を受けていたそうだ。
誰一人として私に教えず、また、私も聞かなかった。擦れ違いに託けて家族との会話を怠った。手紙が途絶えた事を不審に思う事無く何年も過ごし、電話を掛ける事もしなかった。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね」……母は繰り返す。泣きながらただ繰り返す。「ちゃんと教えればよかったね」
手紙が途絶えた頃には、祖母はもう畑に立てなくなっていた事。祖父がメロン作りを止めた事。毎年私にメロンを送っていたのは、祖母に依頼された彼女の姉であった事。
いつの間にか味が変わっていたメロン。作り手が変わっても送り続けたメロン。何も知らなかった私、いや、気付こうともしなかった私。
田んぼ道を駆け回り、汗だくになり、虫刺されを沢山作り、ああ疲れたと縁側でかじったあの黄緑色の甘い甘い果実。
私は何処で、あの味を取り違えてしまったんだろう? 私はいつから、祖母の味を忘れてしまっていたのだろう。
白い煙は火葬場の大きく長い煙突から音も無く溢れ空へと混じって溶けていく。羊雲が浮かぶよく晴れた春の日、いくら疑問と後悔を重ねても、誰も答えてくれやしない。あの夏の味は、何処に消えてしまったの?
今でも毎年夏になると、祖母の姉がメロンを送ってくれる。甘くて瑞々しい、大振りのメロン。
それに時々スーパーでも、薄い黄緑色をした若いメロンがカットされて行儀良く並んでいるのを見かけたりする。
見る度に、或いは口にする度に、私は考えるのだ。
幼かった夏の、大きなメロンの欠片の味を。
「一生懸命作っとるんさ」と、日焼けした顔を皺くちゃにして笑った、大好きな祖母の事を。
五月のカレンダーを、音を立てて破るともう目前に迫ってきている。
私にとって愛おしくも切なく悔しい、甘くて苦くて少し瓜臭い、『夏』が。

 

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