少年と私

平凡な日常を幸せと呼ぶなら、総じて幸せとは退屈なものである。
当たり障りのない服を選び、当たり障りのない言葉を選び、当たり障りのない物を食し、飲み込み、養分を得る。
人間とはなんと計画的な生涯を設計されているのだろう。
いや、その計画性に立脚して八十年という時間が保証されてるのか。
既存の頭なんぞで考える事自体が、想像の範疇だとでもいうのか。万一神がいるとしたら。
ありきたりな生に飽きたので、生き物を飼う事にした。
ペットショップを見渡して、獣の臭いに僅かにむせた。
犬……は、めんどうくさい。毎朝毎晩、散歩になんて連れていけない。おまけに煩い。
魚、もめんどうくさい。しょっちゅう水やら温度やらに気を使わなければならないのも鬱陶しい。
私の時間軸の中心が「ペットの世話」なんていうつまらないものに支配されてしまうのは正直ごめんだった。
ああ、そうだ、サボテンにしよう。奴らなら例え一週間の旅行に行こうと恐らく生き抜く事が出来る。
動き回る事はないが、有ると無いでは無いよりマシだろう。
ペットショップを出て、フラワーショップへ向かう。
公園を抜ける時、ギターを片手に歌う少年を見付ける。
ああ、そうだ、少年を飼えばいいのか。
勝手に死なない。散歩もいらない。少女に比べて静かだし、放っておいても問題が無い。
強いて言えばギターの音にどれだけ耐えられるか、という位だが、まぁそれはやってみなければわからないだろう。
少年は私の家の中をきょろきょろと見回して、淡々と告げる注意事項を聞き流していた。
そのいち、外出は好きに。そのに、睡眠と仕事の邪魔をするな。そのさん、金は自分で稼ぐこと。
少年はふんふんと頷いて、部屋の片隅に腰を下ろした。
ギターを出して奏ではじめる。
私はそれを聞きながら、二人分になった夕食の支度を始める事にした。
「塔子さん」
夕食を終えてテレビを見てると、少年が私を呼んだ。首だけ向けて、なに、と言う。
「洗面所に、私物置いてもいい?」
「なんの」
「歯ブラシ」
ホテルなどによくある、簡単にパックされただけの旅行用歯ブラシを少年は軽く振って見せる。
「いいよ」
許可を出すと簡単な感謝の後、静かになった。
テレビでは痴情の縺れの末に女が男を刺す番組が流れていたが、二人の細かい関係性は、正直よくわからなかった。
少年は日中ギターを弾いて、眠り、本を読む。特にアルバイト等をするそぶりも見せず、家にあるパンを齧っていた。
私は朝に仕事に出て、夕方には帰宅して飯を作った。
当たり障りのない日々に、当たり障りのない会話が増えた。
ただ、それだけで、以前に比べたら少しだけ、何かがマシになった気がする。
犬を飼うより効率的で、サボテンを置くより花があった。
ある晩、帰宅すると部屋が暗かった。
「あれ」
少年の靴もなかった。
「ああ」
ギターも鞄もなくなっていて、台所には置手紙が残っていた。
細い字で告げられる感謝の言葉を、私は散り散りに破いてゴミ箱に捨てた。
洗面台に、歯ブラシが残っていた。
先程使ったばかりなんだろう、辺りに水気が飛び散っていた。
なんとなくつまんで見てみる。
ホテル名すら書かれていない、本当に安物の歯ブラシだった。
翌日、私はスーパーに出掛ける。
真新しい歯ブラシを二、三本、籠に入れた。
「サボテンでも、買って帰るかな」
独り言をぽつり呟いた。
惣菜コーナーを通りかかった時、少女が楊枝を差し出した。新発売の冷凍食品。
にっこりと笑う彼女と対峙して、一拍。
歯ブラシと冷凍食品を入れたビニール袋をぶら下げて、私は夕暮れに染まった街を一人歩いて帰る。

 

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