インダストリアル

「ねえ、先輩。見て下さいよ、有理さんの耳」
明太冷奴を運びかけた箸が、急に捻じられた首に戸惑った。
「なにこれ、ピアス? 何処にどうついてるんだ」
「軟骨二ヵ所に穴開けて、そこを棒で繋いでるんですよ」
私を無視して進む会話から、酒豪の二人にすっかり酔いが回っている事はもう十二分に伺えて、下戸の私は首を取り返し、相変わらず黙々と明太冷奴を食べる作業に戻った。
「なんでそんなところに開けたの?」
焼酎をロックで飲みながら、正面に座る先輩が問う。
「なんで、とは」
「いやあ、痛そうじゃない、軟骨にピアスって」
一瞬上げた視線を、やはり明太子に戻す。
「そうでもないですよ。最初は、まぁ、それなりにだいぶビビりましたけど」
喉元過ぎればなんとか、って、言うじゃないですか。
私はすっかり砕けた木綿豆腐と明太子を、ただ混ぜる作業に戻る。

「インダストリアルを開けたい」と、思ったのは去年の春先だったと思う。きっかけはもう忘れた。
ただ漠然と、目的が欲しかっただけのような気もする。
実際にその目的が出来たおかげで、私は一人のクリスマスも踏み越えて、晴れて大晦日に穴を開けた。
ピアスショップを教えてくれた友人は、初めての軟骨がインダストリアルだなんてハードルが高すぎると、笑った。
それまでの私には、とても無難な、ピアッサーで開けたロブのホールしか無かった。
大学に入りたての頃、当時付き合っていた男と揃いで、そこらへんで売っているピアッサーで乱暴に開けた耳たぶのピアスホール。大学を卒業しようとする頃、細くなる連絡と共に、それを塞ごうかと考えた事もある。
だけども結局一人では、私はそのホールを塞ぐ事すら出来なかった。
だから、増やそうと思ったのだと、思いたい。
ピアッシングに理解ある友人が、ふと何気なく呟いた、「私、ヘソに開けたいんだよね」という一言はそんな私を魅了するのに十二分だったし、ただインダストリアルという鉄鋼がぶつかり組み合うような響きは単純に格好良かった。
何よりも男が、耳たぶ以外に開けられるピアスに難色を示した事を遠い昔に思い出した事も大きい。

「セックスを」
唐突に切り出した私に、談笑していた二人の会話が止まる。
「セックスをした時に、女性の服を脱がした時に」
私は淡々と言葉を紡ぎ、もはや原型の無い明太冷奴から顔を上げない。
「臍にピアスがくっついてたら、なんかイヤだって、言われたことが、昔あって」
すっかり酔っていたはずの隣の席の男は決まりが悪そうに何も言わず、正面の先輩は興味深そうに焼酎を飲む。
「でも、よく考えたら、脱がすまでそれがわからないだなんて、あまりに馬鹿らしすぎる。お互い」
飲み掛けの冷酒を残したままその男は、通りすがりの店員にビールを頼んだ。
話題をそらしたかったんじゃないかと、思っても言わなかった。
「まあ、一理あるね」
「その一理しかないです」
「つまり、そのピアスは自己主張だと」
私は黙って頷き、居酒屋の椅子に背中を預ける。僅かに軋む音がした。このまま砕ければいいのに。
「正しく。だから、わざと、見える場所で、かつとても、分かりやすい場所に穴を開けた」
軟骨のピアッシングは、体に定着するまで約半年から一年。
今の私にとってその期間が、長いのか短いのかもよくわからない。
共に歩くと誓った耳たぶのピアスホールは、思いのほか簡単に意味を成さなくなってしまった。
「だから先輩に誤解を招く事を承知でいうなれば、私の本心は別の場所にあるんです」
ピアッサーが約千円程度で購入出来るのに対して、ショップで開けてもらうピアッシングは場所やジュエリーにもよるが一万円前後である。
感情よりわかりやすい客観的事実が、値段であると思った。
「もしも人間が本当に見た目で決まるなら、今度はニップルかイザベラを、開けようって思ってます」
少しの間をおいて、先輩が口を開く。それは何処か、と問う。
私はすっかりとろけてしまった冷奴の中に、埋もれているピンクの粒を見る。
隣の席の男が、見捨てた冷酒に手を伸ばす。
「乳首か女性器。でもほら、それこそ脱がすまで分からないでしょ?」
少し温くなった日本酒は辛くて、それでも、喉を過ぎればただの液体だった。

 

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