あかり

もしもあの時ああだったらとかこうしてたらって思う事は誰にだってあると思う。
そんな事、言い出したらきりがない。
もしも不眠症じゃなかったらとか、もしもいじめがなかったらとか、もしも誰かが守ってくれてたらとか……、言い出したら、本当に本当にきりがなくて、そしてそれ以上に虚しい事なんだ。
きっと、皆それを知ってるから何も言わない。
例え心の何処かで、それは違うんだ、正しくないんだって思っていたとしても、私は、人間は、生き物は、前って言う未来ばかり強制的に見せられて生きていかなきゃなんない。
嗚呼、それはなんて、機械的なサイクル。
ダンジョンボスの間の前に着いてタニウラさんが「力のシフォンケーキ」を皆に振舞っていた時、画面のこっち側であたしは紙パックのチョコミルクを一口啜った。
甘いもの最強説。脳が集中するのには糖分が必要だから、気合入れたい時はいつもあたし、甘味を摂る。
ゲームの中であたしは銃使い。遠距離からの攻撃で接近タイプをサポートしつつ、かつ中央から拡散した敵を影から素早く打ち落として、詠唱で隙だらけになる魔法使いを守らなきゃなんない係。
ちるみーさんが変にかしこまって「それじゃあ皆さん、ボスルームを開きます」って言って、彼以外の五人がはーい、はーいって返事して、あたしも「ようござんす」って打ち込んで、その瞬間、世界が傾いた。
傾いたんじゃない、揺れたんだ、ってわかるまでどれだけかかったんだろう。
すごく長いような、ほんの一瞬のような。
音を立てて本棚が漫画を床に吐き出して、いつの間にかパソコンはブラックアウトしてる。
あたしはコタツから立てなくて、和式トイレみたくしゃがみこんでて、ああ、おばあちゃん、一階にいるおばあちゃんは大丈夫かなって思った。
それから、あたしの「ようござんす」は、パーティの皆に届いてたのかな、って。
誰が予期してたとかしてなかったとかはこの際どうでもいい。
突きつけられる現実は、あの日、東北で未曾有の大地震が起こったという事。
幸いにもうちの家系は割りと関東に集中してたし、直下にいた伯父さん一家も全員無事だった。
しかし現場は、これから先どれくらいで復興できるか分からない状態だと言う。おじさんは職場を解雇され、従姉は会社自体が津波で流された。おばさんは専業主婦だし、避難所にいたところで情報だってろくに入ってこない。
あの時は、誰もが、日本中の誰もが混乱してた。
どこが安全か、どこにいったらいいか、何をしたらいいか、何ができるか。
伯父さんが下した結論はシンプルだった。
「逃げよう」
非難時に使った車で、足りるか危うい燃料で、近くて此処より安全な場所、関東に住む弟の所へ。
そう、つまり、私のうちへ。
十年ぶりに逢う従姉とおばさんは、すっかり他人だった。
十年以上ぶりに逢うおじさんに至っては面影すら無い。
父さんと母さんは電話とか出張先で逢ったりとかそういうので話す機会が逢ったみたいだけど、あたしに今から六歳の時の記憶を掘り返せなんて無理な話だ。
いやあ、参った、ほんとに参った、と繰り返すおじさんに、あたしは気が利いた言葉の一つも掛けられない。
七つ離れた従姉は、この春地元の企業に就職が決定してたばかりの話だった。
「これから、暫く……そうね、落ち着くまでね、お世話になるわね」
おばさんは何回も何回も見てるのが居た堪れないくらい頭を下げた。
従姉は昔から所謂「肝っ玉が据わった」タイプだったけど、就職先が文字通り「水に流れた」だけだってかなり笑えない冗談で失笑をかってる。
「なんていうか、こんな形での再開だとはねー」
へらへらと私の家族に笑いかける社交的な従姉。
わー、うちもずーっと昔に犬飼ってたんだよねーっと、まるでちょっと遊びに来たみたいな顔してラリーと遊んでる。
胸の中に何か、くすぶった灰色のしこりが出来たみたい。
私の家に入ってきた、イブンシ。ブガイシャ。
このご時勢に、そんな言い方するのは悪い事だと誰かが言う。
なのに、従姉が笑うたびに、従姉が何か言うたびに、灰色のしこりは私の中で育ちたがるようにぎゅうぎゅうと疼く。
これをなんて、呼んだらいいんだろう。
「あずさちゃんはそうだな、せっかくなんだし昔みたいに莉子の部屋に布団運んで……」
はっとするといつの間にか話がどんどん進んでる。
「ダメ! それは、ダメ! 絶対無理!」
慌てて抗議したら思いの外声が大きく出てしまった。
「あ、いや、あずさちゃんと寝るのが嫌ってのじゃないよ? でもさ、あたしの部屋、元々廃墟だったよーなのが崩れて自分でも訳わかんないっていうか、なんていうか、歩ける場所と歩いちゃいけない場所ってーのが、ね?」
多分引き攣ってる笑いを何とか繕って、取ってつけたような、だけど何一つ嘘じゃない事実を説明する。
おじさんおばさんは理由というより多分私の勢いに戸惑ったようだったが、両親は「思春期の子は難しいからねえ」って、在り来たりだけど一応フォローしてくれた。
そうなんだ。あたしは、うちの一家どころか家系図のあぶれ者だ。
高校もろくにいかないで、昼夜逆転して飯も大して食わないで、ネットばっかりしてバイトもしない。
普通に考えたら親戚に「自慢出来る一人娘」ってのから外れた、寧ろ隠したい家族の「恥」。
あはは、ははは、笑えない。結局従姉はおじさんたちと一緒に床の間を寝室にする事になる所まで確認したら、正直この家族と親戚が混在する空間の居心地の悪さに耐え切れなくてあたしは席を立った。
「あ、莉子ちゃん……」
「トイレ。あと部屋にいるー」
なるべく明るい声色で言ったつもりではあるが、一瞬何か言いたげに身を乗り出した従姉に対して、私は向けられる視線を持っていなかった。
部屋を出るあたしの背中を、残された家族三人と犬と、新しい居候の三人が、なんとも言えない目で見てたんだろう。そう思うと、なんだかいい気はしない。

震災は予想をはるかに超えて大きく、多方面へ、それこそ思いも寄らない場所へまで被害を及ぼした。ネットゲームが自粛だかなんだかで一週間のサービス休止を発表しやがったのだ。いや、それは、大人の事情とか今も避難所生活を強いられてる人とかパソコンとか流れちゃった人とか色々、ホントに色々考えたら当然の事だったんだと思う。
私にとってはある日突然訳分からん勢いで揺さぶられてちょっとそれが落ち着いて日常生活に戻ろうとしたらまさかのサービス休止ですよ。ネトゲがないなんてちょっと「ネトゲは生活の一部です、キリッ」っていつも冗談飛ばしてた私には本当に笑えない状態。
何しろっていうのよー……と、天井に向かって愚痴ったところでそれは重い空気に溶けるしかないんだ。
居候三人って言い方したらおじさん一家に悪いんだろうけど、まぁその三人は割りとハローワークに通ったり震災手続きで役所に行ったり、取り合えず昨日今日の二日は割りと家に馴染んでるみたい。
従姉なんて、朝夕のラリーの散歩、自らかって出てくれたくらいだし。まぁ、正直それはありがたいかな、すごく。
引きこもりのあたしからネトゲを取ったら何も残らない。せめてネトゲに課金していた分のお金を貯金していたら韓国旅行くらいはいけたかもしれないけど、そんな事今更云ったって何一つどうにもならない。
ごろんとベッドに横になって、天井を見上げた。
昼間から開けっぱなしの窓。まだ春先だし、此処は二階だし、網戸もしてるんだから虫が入ってくる心配はしなくていいだろう。
泥棒……ってのが一瞬頭をかすめたけれど、時刻はまだ寄るの八時を少し回ったばかりで、住宅地とはいえ家の周辺にはまだ人影がある。家族だって起きてる。
数年ぶりにあった従姉は、ぽっちゃりした昔の面影が殆どなくて、寧ろスレンダーっていうか風が吹いたら折れちゃうんじゃないかってくらい細くて美人になっていて、左手の薬指には、噂には聞いていた婚約指輪がこっそりと光ってた。
家を失ったのに、職を失ったのに、結婚が延期になったのに、明るく笑う従姉が苦手だ。すごく苦手だと、たった今、気付いた。

ガタ、と音がしてあたしはベッドから飛び起きた。
中途半端に開いた窓に手を掛けたまま、従姉が「あ、起こしちゃった?」なんてのんきに問いかけてきた。
視界の端の時計。十時を過ぎてる。
「まだ寒いんだから、窓開けたまま寝たら風邪ひいちゃうよー? あとねえ、さっきちょっと外に出てみたら今日は雲が無いから星が」
「出てって!」
あたしは叫んでた。
「出てって! 今すぐあたしの部屋から出てって! てゆーか勝手に入ってこないで! 出てって!」
従姉は窓をパタンと閉めた。そして困惑と罪悪を滲ませて眉を寄せ、小さな声で「ごめんなさい」と云った。
「ごめんなさい。勝手な事して」
「いいから。謝らなくていいから出てって。それからもう勝手に入ってこないで」
あたしは窓の鍵が閉めてあるのかも確認しないで毛布を被って布団の中で丸まった。もうやだ、話したくない。声聞きたくない。寧ろ聞いていられない。話しかけないで、ほっといて。あたしの事なんかほっといて。
怒鳴り散らしちゃった爽快感と、怒鳴り散らしてしまった罪悪感がぐるぐる渦巻きをあたしの心の中で作る。
「おやすみなさい、莉子ちゃん」
パチン、と部屋の電気が消えた。
「勝手に部屋の電気消さないで!」
あたしは布団から跳ね起きて、閉ざされたドアに向かって泣きそうになって叫んだ。
おじさんとおばさんは数日慌ただしげに、区役所に様々な手続きをする毎日が続いていた。
共働きのあたしの両親は、自分の仕事をこなす傍らで道案内や現場のニュースに目を光らせていた。
従姉は二日目になんとか結婚相手も無事で、避難所生活をしてると聞いて安心していた。
日本中が、慌ただしかった気がする。
関東も関西も九州も沖縄も北海道も、口を開けば「原発」って言って、それから「しまった」って顔して口を閉ざす。
あたしはネトゲをしなくなって、パソコンを付けなくなった。
動画サイトも、地震ネタばかりだったし、ブラックジョークで笑える気分では到底なかった。
計画停電が始まると聞いた。
母について久々に外に出て、買い物を手伝った。
そして帰ってみたら父が、あたしの家は比較的病院やら駅に近い立地だから、だかっていう曖昧な理由で計画停電のグループから外されていると教えてくれた。
カップラーメンと水とスナック菓子が詰め込まれたビニール袋が、台所の片隅でふてくされる様に影を帯びてた。
「莉子、こんな時に、っていったらあれなんだが、こんな時じゃなかったら、おじさんたちはこっちにこなかっただろうから、父さんたちちょっと横浜のおばさんに逢いに行ってくるけどどうする?」
台所にぼけええと突っ立っていたら、居間の父から声を掛けられた。横浜には父とおじさんの妹に当たる人がいる。
「……やめとく。お風呂入ってない、し」
少しだけ考えるフリ。答えは最初から決まっていた。
「せっかくだけど、私も残ろうかな」
突然従姉が口を挟んだ?
「へ? 行ってくればいいじゃん」
なんでかあたしが問いかけてた。
「いや、おばさんって、年明けにゼミの卒業旅行でネズミーランド来た時にあたしちょっと我儘言わせてもらってさ、その時逢ってるんだよね。中華街案内してもらっちゃったー」
けらけらと笑う。従姉が。ナントカ肉まんが美味かったとかなんとか、そんな話がやたら遠くに聞こえる。ねえ、ちょっと、父さん、そこで納得しないでよ。ねえ、母さん、母さんも何か言ってよ。おじさん、おばさん、ねえ、みんな、ちょっと真面目に、なんか、ゆってよ。
結局、家にはあたしと従姉が残った。
「莉子ちゃん、晩ご飯何食べたい? あずさ何でも作っちゃうよ?」
「……チキンラーメン、買ってきてるから」
あたしは目を見ずに答えて、なるべく従姉を視界にいれないようにして、自分の部屋に戻った。
まぁいいさ。明日になれば、あれ? 今夜遅くだっけ? まぁ、とにかく、明日には皆帰ってきてるんだから大丈夫。一晩くらい何も食べないでも問題無いし。
あたしはベッドの上で、白色蛍光灯を見つめていた。
今は点灯していないオレンジ色の豆電球、あたしはあれの灯りが好きだ。何故か知らないけれど、少しだけ安心する気がして。
従姉が何かを言う前に、先に風呂を入れて勝手に入って勝手に上がった。
「お風呂、入れてあるから」
部屋に戻る間際、居間でテレビを見ていた彼女の背中に向かって一言だけ声を掛けた。
時刻は十時半を過ぎて、部屋の窓から見える景色は計画停電の影響もあって普段より暗い気がする。
うちが計画停電の対象外で良かったよ、ほんと。
小さく息をついたその時だった。
バチンと音がした。ような気がした。しなかったかもしれない。
家中の電気が消えた。
外を見る。
灯りが無い。
街灯も落ちてる。
周囲の家にも灯りが無い。
停電? なんで?
うちの辺りは対象外じゃ?
よろよろと窓から離れると机の角に脛をぶつけた。
そのまま前にずっこけて、イスが派手な音を立てた。
従姉の声がしない。
まさかお風呂?
さっき入ってるって云ったから?
お風呂で裸で凍えてるとか?
え、いや、なにそれ。
冗談じゃ、ないよ。
停電とか、マジで、シャレになんねえ。
あたしは四つん這いになって手探りで前を探した。慣れてない目にはまだ暗闇しか映らない。思い切りぶつけた脛と、あと腕とか膝がズキズキする。
部屋のドアはどっちだ。
自分の部屋なのにわからない。
机の向きがこうだから……多分、右にあるはず……。
ドアノブらしき何かに手をかけようとした。その瞬間、勢いよくそれは遠ざかった。
そして冷たくて細い身体が、あたしに覆いかぶさってきた。
「大丈夫? 大丈夫だからね?」
濡れた髪の毛からはまだ水滴が滴る。声がかすかに震えてる。
バスタオル一枚くらいしか巻いてないらしい。タオル越しに分かる細い身体。
「怖くないから。私……お姉ちゃんがついてるから。お姉ちゃんがついてるから、怖くないからね、大丈夫だからね」
床にぺたんと座った形で、従姉は私を抱きしめていた。
私は茫然と抱きしめられていて、頭が冷静になっていくにつれてやっと、今更遠い昔の事を思い出していた。
あたしはまだ小学生になる前で、お姉ちゃんは小学生だった頃に逢った時、二人で針金アートをして遊んだ思い出がある。
ビニールで包まれた比較的安全性の高い針金で、お星様やハートの形を作って、クリスマスツリーを二人で飾っていた。
その時、ふとした好奇心からあたしが、その針金をコンセントに差し込んで家中のブレーカーが落ちた。バチンと音がした。あたしは錯乱して泣いて、お姉ちゃんはあたしを抱きしめて泣いた。他の家族が慌てて様子を見に来て、ブレーカーを上げたらすぐに電気は戻ったけれど、あたしはずっと泣いていた。そして、そんなあたしの手を握りながら、お姉ちゃんもずっと泣いていた気がする。
「……もう、ただの停電なんだから、大袈裟すぎるよ……おねえちゃんは」
夜目が利く様になって、あたしは立ち上がった。
お姉ちゃんを促す。
「入りなよ。風邪引くよ」
「……あ、でも……」
「いいよ、入っても。風邪引かれたら困るんだから。着替え出せないから取り敢えず、二人で毛布に包まってよ、そしたらそのうち復旧するはず。多分」
あたしはお姉ちゃんを半ば強引に部屋に入れて、二人でくっついて毛布に包まった。これでいくらか寒さは凌げる。
お互い落ち着いてきたら、無性にここ最近の自分の態度とかが恥ずかしく思えてきてあたしは寝返り打って背中を向けた。
もっとあの時、素直だったらとか、あの時もっと心配したらよかったのにとか、考えるだけ過去は虚しい。過去ばかり見てても仕方ないのよと反省するふりして後悔ばかりしてるあたしたち、人間。
前向きに、前向きにって呟いて、俯きながら一歩一歩前に進んでるあたしたち、人間。
「莉子ちゃん」
お姉ちゃんの声がした。あたしは即答する。
「うん、こないだはごめんね」
「え?」
「わかんないならいいの」
「ええと」
「わかんないなら、いいの」
背後から聞こえるお姉ちゃんの声。戸惑いが滲んでる。
「莉子ちゃん」
少しの間を置いて、また名前を呼ばれた。
今度ははっきりと呼ばれた。
「莉子ちゃん」
「……なに」
「また、お姉ちゃんって呼んでくれたんだね」
あたしはきっと顔を真っ赤にして、枕に思い切り顔を埋めた。

 

著作権表示

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です