小欲科学

「手がね、寂しいの。掴めるものが、何もなくて」

 友人は逡巡の末、ぽつりと呟いた。
 もう一人の友人は、ああ、という曖昧な嘆息を零した。
 私は、さも意図を測り損ねたように何も言わなかった。さも意図を測り損ねたように。
 居酒屋「ねこじゃらし」は徐々に花金の活気にあふれてきている。
 福島の唐突に抽象的なんだか具体的なんだか、意味深なのかそうでないのかもわからない一言は私ら三人を喧騒から綺麗に切り離して、隣で「ああ」なんて同調する三吉に私は正直アホくさ、と思う。勿論思うだけ。
 アホくさ。
 それを知れた事が私が大学という場所に来て、一番良かった事だと思う。
 高校を一年、留年している私が卒業即入学したところでそれが「ストレート」なのかは私にはわからない。わかったところでなにもない。
 教員免許を取りなさい。そうすれば仕事に困らないから。
 超ド田舎の団塊世代は私にそういった。
 私はその超ド田舎を出る事を条件に、大学進学を決めた。
 都会に出て何かが変わったのか。
 コンビニが道を曲がればすぐとか、電車の時刻表を覚えなくても家に帰れるとか、そういう細かい事は、それこそあった。
 でも結局、そこにいるのは人間だった。
 つまんない人間関係に笑ったり、泣いたり、怒ったり、理不尽に喚いたりする。
 つまんない、なぁって、私は、煙草を出してゆっくりと火を点ける。
 そういえば、私は別に、ヘビースモーカーじゃない。
 つまんないなーって思った時、なんとなく口が寂しくなる。理由はそれだけ。
 でも学校内も何処もかしこも禁煙、禁煙ばかりで、その度にやっぱり日本ってつまらないなぁと社会の所為にしてみる。
 ニコチン切れの苛立ちも無い。
 煙草がダメなら代わりにフリスクを噛む。
 清涼系極小タブレットを四、五個ほど。奥歯で噛み砕く。ごり、がり、って噛み砕く。フリスクを規制する社会運動は、ネットでニュースを見ている限りだと今の所起こる兆しもない。
 福島の漠然とした恋愛談はずるずる続いてる。
 つまんないなぁ。つまんない。本当に、つまんない。
 私、つまんない星人になるのかなとか思いながら、白い煙をゆっくりと、肺胞に馴染ませる。肺に満ちる僅かな重量に、少しだけ体が重くなる。
 あー、もう少しだけ、地面に足をつけて立っててみようかな。
 そんな事を考える。
 崩れていく灰と、福島のカルピスサワーが、熱気で少しずつ崩れて、色を薄くしていく。
 福島の話に時々相槌を打ちながら、私は壁に貼られた「本日のおすすめ料理」を眺めて、脳内ままごとを始めてもみる。ブリ大根、580円。まずはブリを捌き内臓を取り除きます。
 福島の話を、三吉だけがうん、うんって言いながら聞いてる。
 あんたがそんなんだから、つまんないんだよ。
 福島の後ろをずっと追いかけて、福島の一喜一憂を自分の事みたいに笑って、泣いて。
 私はそれを聞くたびに思うよ。
 三吉めぐみ。あなたは福島春菜じゃない。
 苛々とも表現できよう複雑な心境を、煙草に押し付ける。
 ぐりぐりと灰皿に、短くなったそれを、フィルターをぐりぐりと押し付ける。
 福島の恋愛ネタから微妙に話がずれていって、話は最近のロールキャベツ系男子に及んでいた。
「ちょっと、煙草買ってくる」
 人の熱気とアルコール、上昇する体温と、七輪で焼ける焼き鳥の所為で、私はじんわりと気持ちが悪い汗をかいていた。煙草を切れた事にして、隣ビルのミニストップまで所要移動時間約30秒。
 二人はいつも通り「わかったー」と答える。
 と、思ったら、三吉が「あ、私も」と言って腰を浮かせた。
「めぐみちゃん、なんかあるの?」
「……買い物なら、私ついでになんか買ってくるけど」
 三吉はちらちらと視線を動かして、困ったように眉を下げる。
「あ、えっと。お手洗い……。あの、さっきの人が、ずっと」
 その言葉に改めて店内を見渡すと、見渡せない場所から惨い嗚咽がとぎれとぎれに聞こえてくる。
 こればっかには、三人とも何もいえない。
「じゃあ、私待ってるね」
「いるものある?」
「ううん。特に無いよ」
「じゃあ、いってきます」
 簡単な会話をして、テーブル席から暖簾までの居酒屋ダンジョンを攻略していく。
 形ばかりの「すみません」を、時々唱えてみたりする。
 外に出ると、夕暮れは綺麗な宵闇になっていて、それでも空はどこか薄い煙がかかったように見えた。
 三吉はよほど我慢していたのか、足早にコンビニのトイレに向かう。
 私は適当に惣菜やスイーツを眺めて、フリスクのシトラスミントを二箱手に取る。
 店員にメビウスの3mgを二箱頼む。千円と細かい小銭を出して、あ、レシートいいです。はい、おしまい。
 コンビニの外では、三吉が寒そうに肘を抱いて待っていた。
「先に戻ってていいのに」
「え、ああ、でも、宮城さんが、心配するかなって……」
 ねこじゃらしの真っ赤な提灯の前で、三吉はそんな事をいう。
 心配のしようがないんだけど、って思えど私は乾いた笑いを零す。
「ありがと」
「ううん」
 ゆっくりと、また来た道を戻る。
 当たり前の酔っ払い、当たり前の恋バナ、つまんない自分語りに、つまんない相槌。
 ねえ三吉。もし福島に告るんなら、今が最後だと思うよ? 多分。
 そんなお節介が舌の音に触れても、でも外野は大人しく息を吸って吐くだけの静観。
 こんなにつまらないのに、視線を逸らせなくて、だから私は昔から、お節介なんだって思う。
 そんな時こそ高校時代の恩師と初めてまともに話した日を、ふと、思い出してしまったりもする。
 あーあ、お節介な国語現代文教師。先生の所為で、私までこんなお節介になっちゃったよ。どうしてくれよう。
 つまんないなって思う。間違いなく思う。なのになんで口許、微妙に綻んじゃうんだろうか。
 煙草には火を点けていないのに、俯けば白い吐息が、夜のアスファルトの上に広がって見えた。
 雪なんか積もっていないのに、耳を澄ませばじゃり、じゃり、と根雪を踏み潰す音が聞こえた。
 ぱんぱんに膨らんだコートのポケットの中で、フリスクがぶつかりあう、冷たいばかりの音。
 ああ、こんなにもつまらない事に溢れかえってる世界だから、三吉めぐみ。あんただけはちょっとだけ、もう少し見てみるのもいいのかなって、私は思ってるのかもしれない。
 だってこんなにお節介な私が一番つまらないのに、なんでか不快じゃあないんだから。

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