エネルギーボールの蜜月(3/4) 森央未土

エルは成長するにつれて、あらゆる物質の複製を生み出せるようになっていた。それは生物であれなんであれ、本物と寸分たがわぬもので、偽札も作れるほどだった。エルが指先から生成した偽札を試しに自動販売機に入れてみると機械は偽札を戻すことなく赤いランプを灯した。僕とエルは子供のように興奮して、好きな飲み物を一本ずつ買った。
エルから分離した偽札をつかって僕は彼女を遊びに連れて行くことにした。例えば温泉に行ったりライブを見に行ったりなどである。
人間らしい感情の集う場所に行けば、彼女が人間の次元に留まってくれるかもしれないと考えたのである。
罪の意識はなかった。エルは複製物を生み出すのにかなりのエネルギーを必要とする。したがって、彼女なりの労働だと思うことにしたのだ。僕は彼女が稼ぐお金を自分のお給料と同程度にするのがいいと説明する。エルは「お金の問題ではないのですね」とませたことをいう。
帰省した実家の庭先で彼女と出会ってから、一年が経過していた。
エルと出会って以来、僕は様々なしがらみを捨て去っていた。東京にあった仕事の繋がりをすべて断ち切り、地元の地方都市のりんご工場でりんごジュースにラベルを貼る仕事を淡々とこなした。
エルとの生活は部屋の二つあるアパートを借りるだけで十分だったし、彼女が複製する偽札もあればゆとりのある生活ができる。
複製技術を用いて偽札を大量に生産すれば、油田王のような暮らしが見込めるかもしれないと考えたことはあった。
しかし彼女の存在が知れ渡るということは世界を敵に回すことにつながりかねない。エルが人外であることだけでも人に知られてはいけない。最新の注意を払って生活をする必要がある。
これについては実家が田舎にあることが幸いしたといえる。少女の肉体をしていた彼女はやがて女性の姿を作り出すことに成功し、嫁と言っても遜色のない存在になる。
僕はエルを両親に紹介する。
「東京の大学で知り合ったんだ」
エルはまだうまく世間話ができなかったが僕が「熱力学について研究をしているため少し天才肌なんだ」と説明すると、両親は「アバンギャルドですね」と言いながら納得していた。
こうして僕とエルの慎ましやかな生活は恙なく成立する。
所謂第三者と呼ばれるものにエルの実体が感知されることはない。
彼女には欲望がほとんどなく、興味を持つことと言えば、人間の感情エネルギーばかりだったからだ。したがって人間らしい生活さえしていれば、悪目立ちすることもなく溶け込むことができた。
一方、僕は僕で彼女と過ごすことそのものが目的となっていた。エルの複製技術をつかって何かの欲望を満たそうという考えもない。
エルという女性に対して僕は十分すぎるほどに心を奪われてしまっていたのだ。恋人や友人という認識の他に、隠れて生きる事の共犯意識があった。あるいは娘や愛玩動物に抱く感情と、強大な混沌に対する畏怖の念が混在していたといってもいいだろう。
僕は心を消費する。彼女がそれを受け取り養分にする。
言葉にするとシンプルではあったが、なかなかに底の知れない依存関係なのかもしれなかった。

こうして二人で慎ましやかな生活を三年ほど過ごした。その間に彼女は髪型を変え、しまむら以外の場所でも服を買うようになった。それは女性が垢抜けていく過程となんら変わりがないもので、ぽつぽつと幸福が堆積していくのが感じられた。
「それは何? 」
公園を散歩しているとき、彼女が土に黄緑色の粘土のようなものを埋めようとしていた。エルは理解のできない行動を僕の眼の前で唐突に、平然と始めることが多かった。
「私の拡張物です」
エルはいった。拡張物とは、何だろう。
「私の器に入りきらなくなったエネルギー体です」
エルは自分の肉体以上のエネルギーを蓄えては土に埋めているという。
「外付けハードディスクのようなもの? 」
パソコンの容量を増やす機器を例にあげてみる。
「そうですね。ただこの器も私と同じように、あらゆるものに姿を変えることができます」
エルは両手に抱えた黄緑色の粘土のようなものから翼を生やして見せた。
その粘土は、よくよく見ると初めて僕が拾ったときのエネルギーボールに似た形状をしていた。
「これはエネルギーボールなのか? 」
僕は尋ねた。黄緑色をしていて質感は異なっているが、彼女の抱えているものはエネルギーボールの名残を湛えている。
「まったく。私の本質を忘れたのですか? 」
「そうだったな。ところで、どうしてこの球体は粘土のようになっているんだ」
「エネルギー濃度が強いからです」
「濃度を強めているから、球にすると色が濃くなるということ? 」
「察しがいいですね。この器を展開すれば光が広がります。圧縮すれば色はもっと黒色になる」
「なあ、変なことを聞いていいか」
「なんでしょう」
「以前エネルギーボールでは人間の魂は作ることができないと聞いた。けれどこのエネルギー体で、地球の自然物……たとえば(、、、、)土(、)とか(、、)水(、)など(、、)を複製(ふくせい)することはできるのか? 」
「できます(、、、、)。そして(、、、)それ(、、)は(、)私(、)の(、)本懐(、、)でも(、、)あります(、、、、)」
「そうか」
だとすればエルは僕の想像していた規模をはるかに超える存在ということになる。
「それじゃあ、君は地球の土や水そのものになることもできるんだな」
「やろうと思えば可能です」
宇宙から飛来したエネルギーボールが地球上の物体に変わるということは、ある意味では侵略されていることに等しい。もしもこのまま彼女が成長を遂げて、地球のすべての物質がエネルギーボールに置き換わったら、悲しいことのような気がした。
彼女が彼女であるという独自性を失う、ということなのだ。
すべてがエネルギーボールに置き換わったとしたら、彼女が模倣できるものもなくなってしまう。
僕は彼女が、何かを模倣するためにがんばっている姿を見るのが好きだった。エルは彼女らしさを根源に備えているからこそ、何かを模倣するというこが
可能になるのだ。エネルギー体が土や水などの根源的なエネルギーになりかわってしまったのならば、そこに彼女の魂と呼べるものはなくなってしまう。
彼女の中に見ることのできる少女のようなものも損なわれてしまう。
そしてそのことを悲しいと思うのは僕のエゴでしかない。
「まあ、この星の土や水にはなりたくはありませんがね」
「そうなのか」
「はい」
「じゃあ、君は、どういう意図でエネルギーボールとして生まれたんだ」
「人間の言葉でうまく説明できるかはわかりませんが……」
エルは指を口元にあてて思案する。
「おそらくは生物と同じ理由だと思います。この宇宙の絶対法則、熱量が増え続けるということに基づいて、熱量を増やすために生まれました」
「よく、わからない。続けてくれないか」
「地球の環境は、生命が生きるに適した環境です。周囲の天体と比べて、適切な温度になったから生命が生まれたとされています」
「うん」
僕は頷く。そういえばエルはよく宇宙に関しての番組をみていた。
「しかし私はそうは思わないのです。生物はそのものが熱量を発生させます。それでいて、宇宙という全体を把握できる鏡像性を備えている。わかりやすくいうならば、人間の宇宙進出でしょうか」
「確かに、人間は宇宙にいくヴィジョンがあるみたいだ」
「では宇宙に対してどういった役割を持っていると思いますか? 」
「宇宙については……考えたこともなかった」
僕は正直に答える。エルは少しだけ残念そうな顔をする。自分に近しい人間が異なった方向を向いている。そんな寂しさを湛えた目をしている。
「私は星の外に転移する生物は、熱量を運ぶ存在だと考えています」
「熱量を運ぶ存在? 」
「はい。いずれ宇宙は熱量が飽和し、すべてのものが均一になるときがきます」
「エントロピーの飽和……、熱的死と呼ばれる状態のこと? 」
「はい。生物としての人間が宇宙間を移動するということは、熱的死への過程として貢献しているといえます」
エルの言葉を噛み砕く。僕は黒く塗られた壁面を想像する。その図の上では熱量のある場所を赤として扱う。生物を熱に見立てて赤い点と仮定する。赤い点が温度の低い箇所に伝搬し、黒い場所を侵食していく。最終的に黒い壁はすべてが赤になり、色の割合は赤一色の均一になる。
「つまり生物は宇宙の熱力学に基づいて、熱量を増やすために存在しているということ?」
「はい。そして私もまた、その所謂エントロピーの一部にすぎません」
エルは表情を変えずに淡々と口にする。
「あのさ。僕は君の生まれた理由が知りたかったんだ。できればもうちょっと、具体的に話してくれないかな」
「いえ。十分具体的だと思いますが」
彼女は首をかしげて答えた。僕はそんな仕草を見つめながら、エルの顔が能面のように見え始めていた。以前は感情を映していたように思えていたが、今は人間の姿をした人間でないもののように見える。事実彼女は人間の姿を借りたエネルギー体でしかないのだが、先ほどまで僕はエネルギー体に人間らしさを見出していたのだ。
熱量が増加したから星が生まれたと仮定する。星の熱量を増加させるために生命が存在していると彼女はいう。
鳥と卵ではどちらが先なのかという問題に似ている。漠然とそんなことを考える。
―――我々の日々の行いは淡々と触れていく熱の増加の前ではとるにたらない出来事にすぎない。人間が何かを成そうが成すまいが宇宙の熱量の増加はマクロ的視点では変わらない。あるいはその変化は人間の主観に基づく図り方に終始してしまう―――。
科学的な話ではない。これは極めて感情的な話。
「君の生まれた理由は、宇宙全体の熱量を増やすためだけにすぎないと、そういいたいのか」
「それにすぎないとは思いませんか? 」
「僕は……違うと思う」
エルは先ほどまでの冷たい表情を崩し僕のほうをみた。先ほどまでは生粋の文学少女が本を読まない人間に興味を示さないような目つきをしていたが、今は少しだけ気持ちを向けてくれる。
「その心は?」
「君は自分の姿を、他のあらゆるものに複製することができる。それはもしかしたら種の役割を持っているのではないか?」
「例えるならば?」
「君は星そのものの遺伝子なのかもしれない」
僕の言葉にエルはお腹を押さえて笑い出す。
「あは。まさかあなたからそんな言葉が生まれてくるとは……」
「真面目に考えたつもりだ」
「残念ながら、私は自分の役割などには興味はもてないのです。所謂プログラムという類のものによって動いています」
「じゃあ、何故僕とコミュニケーションを図ろうと思った」
「その方が生存戦略に適しているからです」
「違う。そうじゃない。何かを知るということは無駄なことだってあったはずだ。エネルギー効率を考えるならば、そうした無駄を……僕と一緒に笑ったり泣いたり、嘔吐したりしたことの説明がつかない」
「あなたはやはり人間の価値観で動いているにすぎませんよ」
彼女は呆れたように嘆息した。抱えていた濃い色のエネルギーボールの表面を撫でている。
「その無駄さえもすべて、有益なことだったんです。いったでしょう。私は感情をエネルギーとしておいしくいただく。ですからすべては有益なのです。
あなたとの生活に無駄なことなんて何一つなかったんですよ」
「違う、そうじゃない……。あの泣いたり、笑ったり、吐いたりした日々は、エネルギーにとってかわるものじゃないんだよ。笑ったり泣いたりすることそのものが、他の何にも還元されないことだと思うんだよ」
「何故ですか? 感情をエネルギーとして摂取する私の存在は、最近もてはやされているエコロジーとも通じるものがあります」
「それは人間的じゃないんだ」
「私は人間じゃありませんよ」
「そうだ……それは知っている。けれど、僕はときどき、もうついて行けなくなりそうになるんだ」
「何故でしょう……今のあなたはとても不快です」
エルの瞳は冷徹なものに変わる。
何の感情も込められない、車窓から過ぎ去っていく景色を眺めるときのような、とろんとした眼つきだった。言葉がなくても、彼女の眼を見ればだいたいの感情がわかるようになっていた。どうやら僕はエルの中での唯一性を失いつつあるようだった。それもそうだ。僕は彼女の存在を否定するようなことをいったのだ。人間的であってほしいと要請をしてしまった。
エルは手に持っていた塊を土に埋めると何も言わずに部屋に戻っていく。

その夜、僕は彼女の部屋をノックし、話がしたいという旨を伝えた。
「いいですよ」
エルは二つ返事で僕を部屋にいれたが、表情はあいかわらず無機質なままだった。
「ずっと一緒にいることはできないだろうか」
喉を震わせしぼりだすように僕はいった。我ながらひどく間の抜けたセリフだった。エルを前にして、このような恋人同士で語らうような言葉はふさわしくないとわかっている。それでも僕は内心を吐露せずにはいられない。
「この間は、エルに人間らしさを求めてしまった。つい口をすべらせてしまったんだ。関係を続けるにはバランスが必要だとはわかっていたが……魔がさしてしまった」
「私は今怒っています。できればもっと神妙に話をしてもらいたいものです」
「うん、わかってる。だから、これからもっと心が動くような日々を過ごしたいと思っているんだ。僕のエゴで君の在り方に文句をつけるようでは、効率的な感情エネルギーは採取できない」
「わかっているじゃないですか。その提案とはどのようなものでしょうか」
「あるいは平凡な幸福というものだ」
「要領を得ません。もう少し具体的に」
「僕の子供を産んでほしい」
「……はあ?」
彼女は面食らい、口をぽかんと開ける。
「生活が安定してきたから大丈夫だと思うんだ。子供が生まれて母親になれば、君はまた違った種類の感情を抱き、それをエネルギーに変えるだろう」
僕は遺伝子の結合について思いを巡らせる。エネルギーボールは宇宙生命だとして、やっぱり生命なので、もしかしたら突然変異で遺伝子が組み合わさるのかもしれない。
「どうだろうか。僕と子供を造ってはくれないだろうか」
もう一度、提案を重ねる。
エルは頬を赤らめ、フリーズしたように固まっている。いままでそのようなしぐさを見せなかったにも関わらず、今は何故だかとても人間らしい。思えばエルは出会った時から、部分的に感情表現の豊かな子だった。
うーーーん。そう唸りながら、エルは僕の提案について思案をする。
「ずっと、一緒にいたいという願いは、叶いません」
考えた末に、どこか覚束ない様子で話を始める。
「何故なら私はあなたが寿命を迎える前に、空に還るためのエネルギーを充填できてしまうからです」
「それはどのくらいになる? 」
「数年後かもしれませんし、数十年後かもしれません」
「アバウトだな」
「私にとっては数年後も数十年後も、全体の寿命からすれば大した違いはありませんから」
「それもそうか」
初めて聞いた事実だが僕は納得する。エルのような存在が人間と同じ時間軸で測れるわけがない。
「けれど、どちらにせよ、まだ出会ったことのない感情が僕の中にはある。三十路、親心、更年期障害、老成。君は僕の中からそれが尽きるまで搾り取り糧にしてくれればいい。そう考えれば僕は君にとって役に立つ存在でいれる。エネルギーを与えられる存在でいられる。そうは思わないかな」
「やけに、謙虚なんですね」
「だって、君は地球外生命体のくせに、感情を持つ僕のような生物と共依存的なんだ。だから僕のようなやつにも優しくする」
「ぷふふ……」
優しくする、と聞いたところでエルはほっぺたをリスのようにふくらませて、噴き出していた。
「どうして笑う」
「だって……今のはまるで、あなたが優しくされたがっているみたいなんですもの」
「可笑しいかな。誰だって優しくしたいし、されたいものじゃないかな」
「でも、あなたがそんな弱みを見せるのは面白いことですよ」
「そうなのかなあ」
「あなたが思っているほど、私たちの間柄は一方的なものではなかったはずです」
「そうなのかな。僕は結構必死だったけれど」
「私はこう見えて、食べる事に精いっぱいでしたよ」
やはり僕にはエルがどのような実感で生きているのかがわかっていなかったようだ。今まではどこか畏怖の念で彼女を見ていたが、エルもまたどこか辛い部分があったのだろう。
「君は孤独だったのかもしれないな」
「どうでしょう。孤独の味はわかりますが、自分で感じるかといったら違う気がします」
「君が人間だったら、泣いてもいいんだっていいたいところだ」
「泣くというのは、排出するということでしょうか。それなら以前受け止めてもらったことがあります」
「もしかして嘔吐したときのこと? 」
「はい」
「どうりで甘いわけだ」
「涙は甘いのですか? 」
「案外、僕らはベタベタしていたんだなって思ったんだよ」
僕の意図を察したのかエルは、照れながらも肯いた。僕とエルは思いのほか、互いのすれ違いを乗り越えていけているようだった。
結論からいうと、子どもが生まれることはなかった。それもそのはずだ。エネルギーボールはあらゆるものの複製を生み出すことができる。それゆえに特定の遺伝子と結びつき、個体を結実させるという概念とは真逆の相性であるといえる。
ではエルの精神とはどこから来たものなのか。僕はその答えを知る術を持たない。彼女は僕と話す時だけ、エルという人格性を感じさせる『哲学的ゾンビ』なのかもしれない。
哲学的ゾンビとは外見的には同じ人間のようなふるまいができても、内面レベルで、個人に相当する意志を持たないという概念である。つまり人間のふるまいをするロボット。このロボット、の部分をエネルギーボールという言葉に変えれば、まさしくエルは哲学的ゾンビとよばれる概念に括られる。
とはいえ僕は直感的にエルには精神と呼ばれるものがあるのではないかと考えている。何故なら感情からエネルギーを得たいという欲求が存在するためだ。その欲求を中心に行動するために、いささか感情表現が極端になりすぎるだけなのだ。
人間がフロイト的な解釈から性欲を中心として動くように、エルは生物の中に芽生えた感情を中心として行動する。それは人間が物語を摂取することに似ている。
おそらくは人間が感情を抱いたときに起こる脳波や神経系の動きにエルは反応しエネルギーとして得ているのだろう。それはロボットとは明確な一線があるように僕には思えるのだ。
だとすればやはり彼女はゾンビなどではなく、生物だった。
「残念でしたね……」
子どもが生めないことがわかり、落胆する僕をみてエルは慰めの言葉をくれた。
「子供が生めないときは女の子のほうが絶望するものなんだよ」
「けれど私は女の子ではありませんよ。あなたの願望を受けてこの姿をしているだけなのです」
「けれど僕にとってはその姿が本体のように思えてならない。前に僕のクラスメイトに変わろうとしたときは危なかったが、エルはエルの姿のままでいてくれている。それで十分だと思う」
この頃になると僕はもうエルの言葉の言い回しをツンデレとして受け止めるようになっていた。エルはよく「別に」とか「~にすぎません」などの言い回しを多用したが、それは事実を淡々と述べ、心のうちをあえてひた隠しにする学者のようでもある。
子どもが生めないことがわかったことで、僕は始め彼女との繋がりが薄れたのではないかと思った。家族というものを造る時、人間の感情形成に変化が訪れる。その感情エネルギーをエルに提供したいと思っていたが、子供ができないとなれば叶わない。
しかし実際にその事実を目の当たりにしても、僕は静かに受け止めることができた。エルが人間でないことに対する諦念は始めからわかりきっていたためだ。
『ずっと、一緒にいたいという願いは、叶いません。何故なら私はあなたが寿命を迎える前に、空に還るためのエネルギーを充填できてしまうからです』
エルの言葉を思い出す。
いつかは別れが来てしまうことを意味している。それも、死ぬこと以外の方法で。
「あなたは私と出会う以前に、人間に興味を抱くことはなかったのですか」
二人で食事を造っているとき、エルが訪ねてきた。
最近になって一緒に料理をすることで、食べ物に込める感情がカクテルのようになることが判明したのだ。僕には味の差異がわからなかったが、エルはしきりに僕と料理をするようになっていた。
「それが僕が他の女性と上手くいく可能性があったのでは? ということ? ユリの後や、あるいは君と出会ってからも、ということ?」
僕は鮭の煮つけを作りながら答える。
「平たく言えばそうなります」
僕の人生の選択に問いかけをしているのだろう。
「案外、人間は孤独なものだよ。そうやすやすと出会えるものでもない。言葉を交わせるかどうかが問題なんだ。どれほどの人が波長を合わせられるだろう? 運がわるければ一生一人ぼっちになることだってありえる。それに誰とでも合わせれる奴は、そいつの唯一性が希薄なんだ」
「あなたは、オブラートに包んで前向きな発言をしていますが、生きることを信じていないのですね。あるいは人間のことを」
「そうなのかもしれないな」
鮭を煮つけながら、隣では野菜の鍋にだしをふりかける。
「だからこそほんの一握りの人だけが大切な人になりえる」
「私のような未知のものに対して、恐怖も逃亡もしなかったことはそういう理由だったのですか」
「君はある意味で人間らしかったからな」
「他の人の方が人間らしいでしょう」
「いや、それでも僕にはエルしかいなかった。より深い部分で言葉を交わせたのは君だけだった。人間らしいと思ったのも」
「私はエネルギーボールですよ? そんなことをいうのは面白い冗談です」
「冗談でこんなことをいうわけがない」
料理の盛り付けをテーブルに並べていく。お椀から湯気を立てている様子はおいしそうだ。
僕とエルは席に着き、ひとまずいただきますをしてご飯を食べ始める。
「では冗談ではないと? 」
「すべて本心だよ」
僕はごはんを口に運びながら、ありふれた会話でもするように、ぽつぽつと話し始める。
「どんな形になってもいいんだ」
「何が、ですか? 」
「やっぱり僕は君と一緒にいたい」
エルは答えずに、黙々と鮭の煮つけを噛みしめる。
食卓に沈黙が降りる。
「どうしても、その意見は変えられないのですか」
「ああ」僕は迷うことなく頷く。
エルは優雅な仕草で野菜の味噌汁を啜る。
「外に出ましょう」
ことんとお椀を置き彼女は僕にささやかな提案をした。

夕食を終えてからエルの提案で外を散歩にでた。いつかエルがエネルギー体を埋めていた公園に入り、ベンチに腰掛ける。
エルは指先を変形させ、ゼリー状の双眼鏡のようなものをつくる。天体望遠鏡ではなく双眼鏡でいいのだろうか、と不安になる。
「当ててみてください」
言われた通りに双眼鏡に眼を当てると、驚くほどくっきりと空の世界が見渡せた。
「育ったら私はあの空の光のようなものになります」
双眼鏡には遠い宇宙の光景が映し出される。螺旋の折り重なった円盤、極彩色の運河、あるいは星屑の混沌。
「私はこういった類のモノなのです」
「関係ない」
「これから先育ってしまったとしたら、私は人間レベルの自我をたもっていることはできません」
「それでもいい」
「無理です」
「嫌だ。俺は君と一緒にいる」
「あなたの心もまた、私に取り込まれることで自我を失くします。あるいは自我を保ったままでいたとしても、ほどなくして発狂するでしょう」
「だから、それでもいいんだ!」
語気を強めてしまったためか、エルはびくっと肩を震わせた。
「君と出会って、僕は初めて人間的な感情を得た気がした。掛け値無い気持ちで誰かを守りたいと思ったんだ」
それが尽きてしまったとしたら僕は拠り所とするものを失くすのだろうと確信していた。他人を大切に思う感情がいままでの僕には欠落していたのだ。それが、エルと出会ったことで、自分の中に芽生えた。
両親も、ユリの後に作ってみた恋人も、僕にとっては取るに足らない存在だった。いれば楽だが、消耗してまで守りたい存在でもない。
ただエルだけは別格だった。彼女が少女の姿になったからではない。エネルギーボールの姿をしていたときから、声を交わしたとき……波長を合わせてしまえたとき、僕は大切な宝物を見つけた時のような喜びに包まれていた。
頬のあたりがぐしょぐしょに濡れている。
今になって自分が泣いていることに気づく。鼻水と涙とよだれと汗、あるいは血も流しているのかもしれない。張り裂けそうな想いのせいか、身体の中のいくつかの血管が破けてしまったのかもしれない。いっそのこと心の鼓動に呼応して身体も爆発してしまえばいい。そうすれば死んだ僕の残骸を彼女は養分として吸収してくれるだろう。
「いくらなんでも泣きすぎですよ」
「この世界に未練なんてないんだ」
僕は思いの丈を制御できず言葉を漏らす。
「だから連れて行ってほしい。こんな、人間の肉体なんていらない。ゼリー状に溶けて、君の一部になってしまっても構わない。それが死ぬことだとしても、君の一部になるならとても幸せなことに思える」
「たとえ自我の消失でもですか? 」
「ああ」
「あなたは自分のことしか考えていません」
ぴしゃりとシャットアウトするようにエルはいう。その言葉で僕は、自分の惨めさを自覚させられる。
「私はそんな自分本位の人間と過ごした覚えはありませんよ」
「そうなのかもな……」
「ええ……冷静に考えれば、どこが悪いのかはあなたなら解るでしょう」
彼女の言葉を受けて僕は思案を始める。
エルが飛び立つときに僕が彼女についていくということ。それはエルに、僕を殺す役目を担わせるということになる。
彼女が人間的な感情をエネルギーとするならば、生産者である僕の死はエルにとってひどい欠落に変わる。
僕はエルの中に人間的なものを見出していたと言っておきながら、その実まだどこかで彼女を人外の存在として認識していたのだ。
連れて行ってくれ? ひどく笑わせる言葉だ。
僕はただこの地上から逃げ出したかったにすぎない。エルの空への帰還について行くということ、その際に僕の心が消滅するということがわかりきっていてなおついていくということは、エルの精神を否定することになる。
エルが僕を殺して悲しむということを、考えなかったことになる。
僕は一連のやり取りの中でエルの人間性を完全に認めていなかったことを悔やんだ。彼女の中には人間の心と呼べるものが存在する。ただそれ以外の宇宙的な広大な要素が多すぎるだけなのだ。
「ごめんな」
僕は、涙をぬぐいながら謝罪をする。
「仕方がありませんよ。現に私は人間でないのですから。ただ、あなたが矛盾を抱えた感情を抱くのはもどかしいと思います。さらにいえばあなたの死が確定するということが、私にはどうにも耐えられないのです」
「一つ聞いていいか? 」
「なんでしょう」
「君は僕が死ぬことが悲しいということなのか? 」
「ばーか。そんな、あたりまえのことを聞かないでください」
またしても、僕は地雷を踏んでしまった。
今度はエルのほうが涙声になる板だった。ゼリー状の大きな粒が眼球から零れる。一瞬、眼球そのものが零れたのではないか、と思えるほど武器用な涙だった。
その日、僕はエルの飛翔のためのエネルギーが蓄積するまで健全に生きることに決めた。
方針が決まると穏やかになるものなのか、別れたくないという思いを胸の底にしまったまま日々を過ごすことができた。気づけば、5年の月日が経ち、僕はどうしようもない大人になっていた。四捨五入をすればもう30歳になる年齢に差し掛かっていた。

 

続く

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