参、トロイメライ

 金属同士触れる音。あとは鎖があれば完璧。

 貰ったばかりの銀の指輪を、冷たい月光に透かしてみてたら、ロマンチストだと笑われた。
 何故? と尋ねたら、何と無く。と、随分素っ気無い返事が返ってきた。
 閑静な住宅地は深夜を回って明かりも少なく、見上げた家にも人の気配が無い。
 左手の薬指。いつの間にか降り出していた雪と街灯の明かりを反射して、一層冷たくなるような気がした。
 もしも明日にこの指が、切り落とされたらどうなるのだろう。その時は、きっと二人を繋ぐ最後の絆も、一緒に切れてしまうのだろう。
 漠然とした確信を胸に、もう一度月を仰ぎ見た。半分雲に消されていた。

「のんちゃん。前にこんな話したの、覚えてる?」

 私は首を傾げて見遣る。身長百八十強の大柄な彼は、見上げるよりも覗き込んだ方がずっと楽だ。

「『もしも世界が破滅する時、自分ともう一人だけ救えるとしたらあなたは誰を選びますか?』」
「ああ、その話ね。そんなの決まってるじゃん、もちろん」

 きーくん。
 私はそう言い掛けて、止めた。
 そして「佐井裕樹だよ」と無難に返す。微笑のおまけをどう受け取るかは彼次第。
 私は、前も同じ答えを、返した事を覚えている。
 大学のサークルの飲み会の席で、(そりゃあ酔っていた勢いもあるだろうが)私は堂々と胸を張って、さも当然の如く、「そんなのきーくんしかいないじゃぁーん」なんて公の場で断言した記憶がある。未来永劫永久不滅の愛なんてものを子供の様に信じていた時期がある。
 それなのに今は度々、のんちゃんだのきーくんだの、そんなふざけた私達を、一歩後ろから冷めた目で見据えている「私」の存在に気付く事があるのだ。
 下らない。煩わしい。姦しい。私の内部に溜りつつある、そんなどろどろした感情が、溢れ出したならどうなるだろう。それをもし彼が知ったとしたら、一体どんな顔をするだろう。
 無意識のうちに、私の二の腕は鳥肌が立っていた。恐怖とも興奮とも似つかない何か、入り混じったそれはなんとも形容しがたい味がして、あまりの恍惚に眩暈がした。想像する事は自由だ、なんて確か児童心理学の教授がウンチクどうどう言ってたけれど、今思えばなんと素晴らしい言葉だっただろうか。私は今日、それをしみじみと身体で感じた。

「俺は誰だと思う?」
「そうだねぇ」

 問い掛けにふっと我に返らされた。小さな不満の塊を胸の中にこっそり抱えながらも、それに応じて一旦目を伏せる。私は思慮に更ける時、手の甲を唇に当てる癖があった。そして、今日に限って、それを悔やんだ。
 上唇を掠めた銀の指輪。悔しいくらいに目障りで、私達には丁度良い冷たさ。二人を繋ぐ最後の――。

「きーくんは超優しいからね。友達もあたしも家族もみーんな救ってあげたいっていう。だから一人なんて選べないんじゃない?」

 馬鹿馬鹿しいくらい明るい声。特別な人にしか見せない顔。いやはや、よくもこの人付き合いほど嫌いなモノが無い私に、こんな芸当が出来たものだ。結構重労働なんだから、この労力を返してもらいたいもんだと思う私は意外と貪欲なのかもしれない。
 唇から離し手を下ろす際、しおらしくも私はその左手で、彼の右手にそっと掠めるように触れてやる。餌に食いつく魚よろしく、今度はあっちから手を握ってきた。左手の指輪と、彼の右手のデザインリング。一瞬だけ擦れる静かな金属音。
 一体いつから此れほどまでに、二人は冷めてしまったのでしょうねぇ……。
 何一つ浮いた話も無くて、毎日大学で顔を会わせて、目立つようなきっかけすら思い当たらないまま。
 ジャリ……と砂を踏む音がして、どちらからとも無く足が止まる。

「じゃあ、また明日。学校でね。今日は送ってくれてありがとう」

 にこりと笑って片手を上げる。サヨナラバイバイマタアシタ。社交辞令染みた別れの言葉を笑顔で交わしている不自然さに、知らず知らずの内にまた、さっきの鳥肌が私の腕から背中へ、そして身体中へと広がっていた。
 小さくなる背中を見送って手を振る。万が一彼が振り返ったなら、もう一度笑顔を見せてあげよう。

 小さくなる背中を見送って手を伸ばす。薬指と中指の隙間で揺れ動いている小さな影に、伸ばしただけの手は届かない。
 手を伸ばしたら届く距離に居て。でも、それ以上にも以下にもならないで。
 何て我が儘な、私の要求。私の願望。私のちゃちな愛情表現。
 あの月は、とっくに雲に隠れてしまったらしい。人工的な街灯の明かりだけが夜の住宅地を照らしている。
 私は先程の微かな音を思い出した。
 この不愉快な指輪を粉々に砕いて綺麗な銀の鎖に変えて、貴方の首に巻きつけたらもう一生繋いで離さない。
 ……そんな事が、出来たらいいのにね、と私は一人光のない空を仰いだ。

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