肆、小細工サマーディ

 あれの正式名称を、一体何といっただろうか。僕はかつて、歩道脇の花壇に花の種を撒く「ボランティア」に参加した事がある。この言い方は、最も無難で、かつ一般的なものだろう。僕自身もそれを形容する言葉として、「ボランティア」以外に他に適当なものは思いつかない。だがしかし、あの暑い夏の日の事をふと思い出す時、どうしても奇妙な違和感が僕の心を掠めるのだ。
 始まりは純粋な退屈だった。じりじりと地表まで焦がしかねない太陽光の下、僕は両親の紹介である集会に参加した。十歳の夏休みだった。
 冷房の効いた部屋で蹲り、風にカタカタと揺れる窓から家の外を眺め、繰り返しプレイしたゲーム、幾度と読み返した漫画本、山積みになった宿題からは目を逸らしたままベッドで丸くなる。
 有意義な長期休暇を僕は、余す事無く退屈していた。退屈凌ぎに僕はこれでもかという程、どうでもいい事をひたすらたくさん考えた。人はどうして夢をみるのか、何故この部屋の天井は低いのか、隣の家のお姉さんが最近恋人と別れたらしい、どうして空気は目に見えないのか、どうして母さんは片付けが下手なんだ……。
 外とは全く対照的な、頭痛を錯覚出来る程冷め切った空気で肺を満たしながら、僕は毎日そんな退屈に時間を費やした。
 それを見かねた両親が、僕を外へと誘ったのである。余程退屈してたんだろう、元々インドア派の僕はその提案をすんなりと受け入れた。
 その日の昼過ぎ、冷たい空気にすっかり適応してしまっていた身体は、玄関から外へ踏み出すや否や、思い切り派手な立ちくらみを起こした。太陽は容赦無く僕を照らし、更に僕は目深にキャップを被る。背中を汗の雫が伝って落ちる頃にやっと、僕は玄関から徒歩二分の集会場に着いた。
 排気ガスがごうごうと立ち込める国道の脇、集まった人数は僕を含め両手で少し足りない程度。僕にしてみれば思いの他に少なくて、少々不満だった。それに、同じ位の年の子が見当たらない。知り合いの一人や二人、あるいは、せめても同じ年代の友達になれそうなやつでもいれば、と少なからず期待していただけに、何と無く、見放されたような、裏切られたような、そんな気分を味わった。ようするに、僕はこの名前を聞くだけでつまらなそうな種撒き企画に、自分でも想像以上の、期待を持って望んでいたらしい。この間の僕はどれだけまっいってしまっていたんだか……つい唇の端から失笑が零れ出た。
 炎天下の下で、参加者に種を配り歩くスタッフのお姉さん。種を受け取った人から勝手に、路上の土を掘り返し、適当な間隔でそれを撒いていく。僕もその種を受け取って、集団から少し離れた場所でしゃがみ込み、黙々と一人でそれを土に埋めていた。
 退屈じゃなかった。面白くも無いけど。

「そんなにいっぱい、土をかけちゃだめだよ」

 不意に掛かった影に、反射的に顔を上げる。逆光でよく見えないが、若い男の人のようだ。その男は僕の目の前にしゃがみ込んで、目線を合わせて柔らかく微笑んだ。色素の薄い猫毛の上に、白いタオルをバンダナ風に巻いていて、薄く色付いた肌からは汗と香水が入り混じって、去年の夏に旅行で行った沖縄の青緑色をした海を思い出させる匂いがほんのりと僕の周りに漂う。

「こうやって、太陽から少し見えないように、土は被せてあげるだけでいいんだ」

 そういって、僕がこんもりと積んだ土を男は手の平で軽く払いのける。爪先まで茶色く色づいたその指先を、僕は黙って見ていた。

「母さんにででも連れられてきた?」

 男の質問に緩く首を左右に振る。空っぽになった種の袋を折りたたんで僕が立ち上がると、男も続いて立ち上がった。丁度、その影に僕がすっぽり入るような感じで向き合う形で見上げた。

「これ、さ。撒き終わったらもう終わり?」
「あぁ、もう全部撒いちまった? 早いなあ。もう少ししたら、多分スタッフからジュースが貰えると思うけど」
「……ふーん。じゃあ、それ要らないって思ったら、もう家帰っていいって事?」
「疲れたかい?」
「暑い」

 男は少しだけ肩を揺らして、愉快そうに(他の参加者には聞こえない程度に)声を上げて笑った。そして、いいんじゃないの? と悪戯っぽく囁いた。
 好い加減タンクトップは汗でぐしゃぐしゃだし、しゃがみっぱなしの作業は足腰にくる。首の裏が火傷したみたいにひりひりしていて、僕は一刻も早く、涼しい家へと帰りたかった。
 男に二、三回小さく頷いて見せて、「あ、そうですか」と意思だけ示す。踵を返して家の方向へ足を向けた。別にジュースも何もいらないし、さっさと帰って今日はもう寝たい。あ、その前に、絶対風呂にも入っておこう。

「あ、君。待って」

 後ろからかかった声。さっきの男だ。それ以外に誰がいる。
 僕はあからさまに鬱陶しそうにキャップを少し上げて振り返り、男の顔を睨みつけてやる。

「せっかくだから、これ、記念に持って帰りなよ」

 まるで預言者みたいな言い方で、まだ花の種が入った袋を僕に差し出す。僕はそれを見て、次いで男の顔を見た。逆光に影が掛かった男の笑顔は、確信のような自信に満ちていた。

「昔、イギリスの詩人がさぁ
『君の心の庭に辛抱を植えたまえ。
 その根は苦いが、実は甘い』
 っていう、有名な言葉を残したのを知ってるかい?」

 僕は首を振る。

「いや、ね? それは僕にしてみれば『君の心の庭には退屈を植えなさい』、なんだ」

 とん、と泥だらけの指先で男は僕の左胸を突いた。そして、何かを諭すようにほんの少しだけ首を傾ける。眩しげに細められた男の両目は、真っ直ぐ僕へと向けられたままで。
 僕の心に退屈を植えなさい……? 心の中でそれを反芻する。二度も、三度も、僕は男を茫然と見つめて何も言わずに考えていた。
 僕の心の庭に退屈を植えたまえ。その根は苦いが、実は甘い……?

「君も多分、そうだと気付くはずだよ」

 訳がわからない男の台詞と斜陽を反射するその笑顔は、あれから何年と経った今でも、僕の脳味噌に鮮明に焼き付いているのだが、彼から貰ったあの花の種は結局名前もわからないまま、僕の机の二番目の引き出しから、いつの間にか消えて無くなっていた。

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