漆、桜殺し

 地球の地軸さえ曲がっていなかったら、世界に四季はなかった。
 春が来るたびそう思い、そう思うたびに私は、心底この季節が嫌いだと感じる。中途半端に混ぜ合わせた絵の具のような、濁りきれてすらいない空気に反吐が出る。そのぎこちなさをまるで必死になって取り繕うように笑う他人に、或いはそれから目を逸らすかの如く駆け抜ける日々に、不意に気付いてしまった時に、私はただただどうしようもなく、情けない焦燥に駆られるのだった。
 花札を裏返し、布団の上に広げた。四畳半のアパートの一室を照らす光は枕元の、儚いスタンドライトだけである。嗚呼なんて、拙い絵になる光景だろう。女子大生がたった独り、スタンドライトの明かりだけ背負い、くたびれた座布団に花札を広げている。本当に、自己陶酔もいいところだ。
 こうして私は時たまに、何と無く虚ろに此の世の無常さに浸り、何と無く哀れな自己に酔いしれ、そして他人を嘲笑うのだ。私は貴方たちとは違う。お花見といって浮かれたりしない。人込みも勉強も何もかも嫌いで、いつだって、適当な相槌を打ちながら違う世界で違う問題を考えているのよ、と。
 近年の、異常気象の所為だろう。今年は桜の開花が遅かった。おかげでゴールデンウィークに、盛りが丁度重なってしまった。私の怠惰な黄金休暇の眠って過ごす予定は総崩れ、私などとは対照的に活発なアウトドア派の彼氏は半ば無理矢理に私を明日、隣県の桜の名所へと拉致する。そこに抵抗権はあったのだろうか。否。
 これだから、ニートは。小説家志望の私の彼氏は、今一世を風靡する(救いようの無い)ニートである。別に全てを否定するつもりはないのだけれど、「取材だから付き合ってくれないか」困ったように眉尻を下げて猫背のくせに更に腰を屈めて、何かヘマした子供みたいに人の顔色を窺って尋ねる、それは毎回反則だろう。そんな風に言われたら、断れる訳が無いじゃない。断る事も拒絶する事もやろうと思えばいつだって出来る。だけれども、受け入れる事ばかりはそうもいかないのだ。サヨウナラならいつでも言える。相手構わず誰にでも言える。両親、友達、教授、エトセトラ。しかれども、大好きのただ一言だけは、誰彼構わず言えないのだから。
 ぐちゃぐちゃにして混ぜた花札。行き場の無い鬱憤も織り交ぜて、躊躇無く座布団をひっくり返す。紙と紙とがぶつかり擦れ、フローリングに舞い散らばる。残るのは、残響、静寂、零れる溜息。
 あのニートは知っているんだろうか。清々しさと虚しさを混ぜたなら、限りなく透明に近い菫色。スタンドライトに淡く萌える色。きっと私は、今夜ぐっすり眠れる気がする。
 散らばった花札。明日起きたら片付ける事にし、緩慢で覚束ない足取りで、私はベッドへと向かう。
 『桜盛りに』『菊に盃』途中、目についたその二枚。その傍らには『雨法師』。

「あ……あは、あはは、ははははは、アハハハハハハハハハハハハッ……」

 屈んで手に取ると口からは壊れた人形みたいな普段より高い掠れた笑い声が零れた。その三枚を窓辺に並べ、スタンドライトの明かりを消す。布団に潜って目を閉じる。何故笑ったかは解らない。明日雨が降る確信でもあったのか、或いは、いつまでも縋り付き離れられない、自らへの嘲笑だったのかも知れない。
  徐々に薄れる意識の中で明日の花見の夢を見た。花見甘酒は雨に流され、桜は打たれて地に落ちる。私はずぶぬれ雨女、独り木の下に寄り添い立ち尽くす。

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