拾、おやすみ

 所謂、座敷牢に近い場所。私は籠の中の鳥。男の瞳は淡い鳶色。畳の色に似た哀しい茶色だった。
 畳四畳足らずの小さな部屋を行灯の赤くて淡い光が、唯一仄かに明るく照らす。
 精々三寸程度しか開かない窓。朧月が空に寂しく滲んでいた。
 時折聞こえる何処かの部屋の衣擦れと女の上ずった声。一組だけ敷かれた布団の上で、不安にも似た居心地悪さに眉を寄せる。

「ほんまに、何も、せんでええとすえ?」

 何処の國の人間だかは知らないが、流暢な日本語と色素の薄い瞳。まだ何処と無く少年らしいあどけなさの残る顔でほんの少しだけ顎が引かれてゆっくりとこっちへ向けられる。不意にその口許が緩んだ。

「葉月さん、薄荷糖でも食いますか」

 要らないと首を横に振る。あいにく薄荷は苦手だ。
 男は何も答えずに、着物の懐から小箱を出して、その大きく広い手の平に小さな白い結晶を二、三粒転がす。そしてもう一度こっちを見た。
 要らないと首を横に振る。小さな白い薄荷糖。男はほんの僅かに天井仰ぎ、手の平で口許を覆うようにして咥内へ転がす。
 唾液に溶けた甘い匂いに、仄かに香る薄荷の涼しさ。その向こう側に漂う、耳障りな男女の笑い声。

「まさかぁお客はん、こないな場所に薄荷糖食いに来てくれはったんともちゃうでっしゃろに」
「まぁ。こっちも色々上下関係の人付き合いとか、色々面倒な事も多いから。葉月さん、眠いならその布団使って眠っていいよ」

 瞼重そう。一言付け加えてせせら笑う横顔に、反して深い溜息を吐く。いや、こうして何もないままでも店には金が入るのだから、自分にとって楽と考えたら、これはとても運の良い事なのかもしれない。確かに連日連夜、疲れが溜まっているのも事実だけども。

「――あかん。うち、あんさんみたなお客はん初めてで、何言うたらええかわからひし……」

 名前なんて互い知らないままで、さっさと用だけ済ませ帰る客も多いのに。どれだけ律儀な男なんだろう。

「あと、その「葉月さん」やけど、擽ったくて敵わんねやわ。ほんまのまんま「葉月」て言うてええよ?」

 外見も、その飄々とした口ぶりも態度も。
 足を崩して座り直した。両手を前に付いて身を乗り出す。腰まで伸ばした長い髪、昼間洗ったばかりのそれは行灯の明かりも透さず黒く横顔を上手く隠してくれた。

「ああ。でも葉月さんの方年上だし」
「年上て自分……そんななんぼかて変わりあらひんやろに。精々数ヶ月とかちゃうん?」
「年上は、年上だって」

 手に手を重ねる。そっと握った。顎を上げ視線を絡め取る。どうしようもない、と、自虐的な笑みで口端が綻んだ。誰かに哂って欲しかった。

「うちな、家族みぃんな空襲で殺されて、家全焼してはりもおて、もうどーしょーも無かった矢先に此処んちの人に拾われてん」

 誰にも話した事の無い話。どうしてこの男に話す気になったのか、それは自分でもよくわからない。
 ただの気紛れだったのかもしれないし、或いは ―― その先は、考えるのをやめた。

「俺は、一八を過ぎたら、親父の仇取る為に、特攻に志願するんだって決めてた」

 重ねた手を離す。静かに双眸を伏せていく。閉じきる前の刹那の間、口内から鼻孔へ、突き抜けていくのは「冷っこい」薄荷の芳香。

「葉月さん。家族を殺した奴らと同じ血が流れてる、俺の事殺したいって思う?」

 薄い布団に背中から沈み込み、視界の端から暗くなる中、眉を下げてえらい真摯に問い掛けた、イッコ年下の少年に最後、微笑んだのを覚えている。

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