前略

 嗚呼、桜の木の下には死體が埋まつてゐる。埋まつてゐなければならないのだ。

 僕が其れに気がついたのはつい昨日のことだ。いいや、一昨日だつただらうか? いいや、それは、それは、そんなことは、全く関係が無いのだ。そう、死體とは全く関係が無いのだ。
 春とは果敢無いものだ。桜が散ればあとは何もかもをもすつ飛ばして夏へ向つて走るのだから。
 春とは全く果敢無いものだ。其程までに生き急いだ先に一体何があると言ふのだらう。

 君は笑ふだらう。この手紙を読んだら、物言わぬ鶯さえも思わずつられてしまうくらゐに笑ふんじやあないか? 別段、僕には全く関係の無い事だが。それにしてもどうやつて此の手紙を見つけたのだい。「遺品の整理は私がする」とでも言つて、奴らを言ひくるめてきたのかい? それとも僕が思ふより早く、君は此れを読んでゐるのだらうか? まあ、この際順序などどうでも良い。上辺の言葉に騙されるのは四ツ谷の親戚ばかりだからね。さういう意味では笹塚の姓に生まれた君は恐らく少しばかり利口なのだらう。まあ、ほんの少しばかりな。所詮、四ツ谷の者を夫とする程度なのだらう? 笹塚の者といへども、結局は人間さ。
 嗚呼、嗚呼、此れでは愚痴だ。手紙ではない。愚痴とは呼べぬ、此れは手紙だ。遺書、遺言状、さういふ形容は僕の真意に一切もそぐわない。浅草と三鷹くらゐかけ離れて仕舞つてゐる。意味がわからない? さうだらう、此れは手紙だ。僕の、僕による、僕の爲の手紙なのだ。故に君は此れを、黙つて読み進めるがよい。

 桜の木の下には死體が埋まつてゐる。此れは必然だ。其処に在る空白を埋める爲に必要だ。
 先ず梶井基次郎が其れに気付き、その次に僕が其れに気付いた。そして彼は此れを小説といふ形にしたが、僕とはどうも解釈が微妙に異なつてゐるやうな気がする。いいや、でも、あれはあれで良いのだ。決して間違つてはいない。彼も又、ひとつの昇華を遂げたのである。だから、彼と僕はさながら俳句と川柳のやうな関係さ。どちらが優れてゐるのかなんて無い。いや、まあ、社会的に文化的観点から見れば明らかに梶井氏の方が僕より優れてゐるのかもしれない。いや、優れてゐるのだらう。だがしかし、僕は此れでも思考屋だ。
 君は言つたね。「思考屋とは何のこと? 其れは思想家とどう違ふのかしら」と。
 僕は答へたね。「思想家とは其れに従つて極限を目指す者達さ。僕はそんなに崇高な人間ではない。思想家に成れず、されど心を惹かれるままに、何時までも同じ場所に囚われてゐる。生きる爲に此の身を少しづつ切り売りしてゐる。少しづつ、少しづつ、乞食が金箔を削り取るやうに、少しづつ、少しづつ、仏像の肌を削ぐやうに、僕は此の流動する思考を削つては売り飛ばしてゐる。わかるかい、此の虚しさが。わかるかい、然もなくばどうにも生きられぬ、囚われの身の僕の気持ちが」
 そうして君は笑つたね。「そんな事を言つても、ろくに売れてもいないのでせう?」
 僕はあの時の君の表情を忘れられない。死んでも忘れられぬであらう。
 君は美しかつた。其れまで何とも思わなかつた、馬鈴薯のやうな丸顔を、僕は心の底から美しいと思つたのだ。これもまた、どうせ君にはわかるまい。わからずとて良い話だ。

 僕は常々、生き様を失つた時に人は人でなくなるのだと考えてゐる。其れは今とて相違無い。

 生き様、そうだ。僕で言ふなればこの「思考」が失われし時だ。僕は生まれて此の方、其れは純粋な死といふ心肺停止に因つてもたらされるのだとばかり思つてゐた。僕は死ぬ事に因つて膨大で流動で情動的な思考の檻から解放されるのだと信じてゐた。逆に言ふならば、此の荒れ狂う思考は生きてゐる限り決して失われぬと高を括つてゐたのである。
 君と出会つた季節もまた春であつた。桜の木の下で、大爺を囲んだ親族一同の花見の席での事だつた。四ツ谷の連中は誰しもが遺産だの支援だの良縁などを求めて大爺を担ぎ媚びを売り、内心自分以外の全員を馬鹿にしてゐた。大爺もまたとんだ狸で、上辺で云々と頷きながら誰一人とてろくに相手をしてゐなかつた。僕は大爺に可愛がられてゐたから其れを真横で見てゐた。僕を含むあの家系にはまともな人間がゐないやうだ。分かり切つてゐた事ではあるが、あの花見の席ではより一層其れを強く感じたよ。
 其處にふらりと親父が現れた。あどけない君の手を引いて。驚いたさ。驚いたし、さして思えば滑稽だつた。親父は勝手に妾を取り、君を生ませてゐたのだから四ツ谷連中の評判は最悪だ。僕からしてみれば、物心付く前に死んだ母の思い出など殆んど無いのだから、親父が新しい女に手を出したとて格別恨むでもない。今思えば特に此れと言つて非難される事など、僕への育児放棄くらゐなんじゃあないかとすら思ふ。其れでも己への悪態と罵倒に満ちた花見の席に妾の子を連れてくる辺りがどうにも親父らしひ。存分な悪意と皮肉と嘲笑が体の外へ溢れんばかりであつただらう。
 大人共がさういふ殺伐とした事情を抱えていた所で僕と君の間には何も関係が無い。僕は一目で君を「妹」だと認識した。左の泣きぼくろの位置が親父と、そして俺と、全く同じだつたのだから疑ふまでも無かつた。そして君もまた直感的に僕を「兄」と思つてくれたようだと感じた。だが其れは違つたのだね。お互い、純粋に「義兄妹」とて認識し合ふには些か、年を取り過ぎていたやうだ。俺が十七だつたから、君は十五であつたか。
 君は僕と出会つたあの春を忌々しく思つてゐるかもしれないね。そんな事は見ていればわかる。君の物言ひから逆算すれば、君が如何に早い段階から僕を想ひ慕つてゐたのかも簡単にわかる。僕はそういう意味での思考屋なのだよ。今でも忌々しく思つてゐるかい? 僕ら二人を。
 しかし考えてみるが良いよ。彼の出会いは喜ぶべき事だと僕が教えてあげやう。
 何故人々は花見をするのだらう。決まつて花とは桜だ。いくら曼珠沙華で有名な地とて誰も「花見」などとは呼ばないし、宴会だってしないだらう? 桜の木は特別なのだ。それは僕らだけではない。四ツ谷の者たちだけでもない。日本國民全員に言へるかもしれない。大袈裟だ? そんな事は無い。
 桜の音は「咲く」と重なつてゐるだらう? それがまず第一の理由だ。
 第二の理由は季節さ。冬を越え、温かくなり、萌え出づる季節こそ春だ。僕の部屋に古今集があるだらう。少し開いて見てみると良い。古くから春の陽気は、人を浮き足立たせてゐたものだよ。だからこそ「春に花開く」という性質にこそ価値があるのだ。尤もその花も紅梅、白梅、そして桜と移り変わつてきたものだが、やはり「春の花」と端的に述べるなら桜が良いと僕は思ふ。サクという音の重なりは、偶然が生んだ美学だらう。
 最後に「花」といふ字をよくよく見て御覧。縦に二つに分かれてゐると思いながら見て御覧。草冠は真ん中から二つに分けよう。どうかね、似てはゐないかい。「笑」といふ文字に。気の所為だとでもいふかい?
 嗚呼、そういへば君はかういう理屈塗れの御託は苦手だつたね。最後の最後まで僕は僕を捨てきれていないやうだ。いずれにしろ、僕は君との出会いを祝うべきもの、めでたくあるべきものだと信じて已まない。さうであるべきだ。断固として、かくあるべきだ。
 ところで「祝」といふ字は「兄を示す」という形をしてゐるね。君にとつては素晴らしい皮肉だね。
 僕は気付いていた。君の感情に気付いてゐながらにして如何に接するべきかを選び倦んでゐた。僕の思考の中には頻繁に君が混じるやうになった。そして君の心の虚しき空間を埋められるものが僕のみであるとも感づいてゐた。
 僕らは桜の下で出会つた。めでたき場所で、祝うべき状況で、偶然か必然か或いは親父の策謀か、結果として僕らは互いに惹かれ合つてしまつた。親族共が口を揃えて述べるのは人間性、倫理性云々、そのやうな感情論と道徳論ばかりだ。鬱陶しいことこの上無い。
 だから蹴散らしてしまへ。君にはそれが出来るのだから。実際、其れが出来たのだから、今此の鬱陶しい手紙を、此処まで読んでこれたのだらう? これぞ僕らの証明なのだ。

 僕は疑問がある。君は何処へ往くのだらうという疑問だ。
 君は自身の虚しき空間を埋める爲、今に僕と喰らうだらう。此れは確定した未来だ。生き様を失つた僕は自ら進んで君の贄となろう。人食いの歴史は古い。君は異常では無い。飢餓の爲に同族の脳髄を喰らつた牛は二度と牛へ戻れなくなる。脳味噌が、ブリオン体が、その罪を抱え続けるからだ。人間だつて変わりがない。罪は伝えられる。後の世代へと受け継がれていく。君に心当たりがなくとも当然と言つていい。
 四ツ谷は人食いの血筋だ。
 此ればかりはどうにもならぬ。遺伝だ。遺伝といふ病だ。君の中の笹塚の血がいくら抗へども、四ツ谷の血は人食いの血だ。同族を喰らつて繋いできた血だ。慣習が廃れても猶ほ、後の世代に影響を与ふ。
 君は単に運が悪かつたのだ。でもその運の悪さが僕と君をひとつにするのであれば、逆に幸運だつたのだらうか。さもあれば、蹴散らしてしまえ、四ツ谷の連中も、人道的道徳も、何もかも全て。君には其れが出来るのだから。

 僕の脳味噌は旨かつたかい?
 君の虚無感は満ち足りたのだらうか。
 もうひとつばかり疑問がある。人を失つた僕は何処へ逝くのだらうか。
 人間の道に別れを告げて、畜生と化すか外道と化すか、将又血縁者を愛した罪で地獄の道を歩みゆくのであらうか。
 君はきつと修羅の道とて難無く前へと進むに違ひない。だつて僕の脳髄は、さぞ旨かつたのだらう?

 果敢無いね。何とも果敢無い。残るは此の紙切ればかり。
 ブリオン体の突然変異は盡く短命だ。焦点の合わぬ目で唾液を撒き散らし唐突に死ぬがいい。馬鈴薯のやうな君の顔には似合つてゐるかもしれないね。僕を喰らう衝動に従つたといふなら、恐らく既に長くはなかろう。生命とはさういふものだ。僕は君を哀れとも思わぬ。君の血肉の一部と成つて些末な最後を見届けようと思つてみたりもする程度には、君の事をとても愛してゐるよ。
 時を重ねて形を変え、四ツ谷の血は近い将来絶えるであらう。
 血が絶えれば価値も失くして、さうして忘れらるる世の中の理。
 果敢無いね。何とも果敢無い。
 残るは此の紙切ればかり。

怱 々

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