9話 よみち

「こんな時間に……」
「コンビニ!!」

 わたくしこと高尾たぬ子、ならびに幼馴染みこと森山コン介は各々異なる反応を示した。
 たぬ子の中に芽生える困惑と不安は、僅かに頭をもたげかけた好奇心を抑えこみハの字型の眉の間を更に狭くさせる。
 一方でコン介はイベント待ってましたと言わんばかりの大袈裟さで胸の前で両手をパンッと合わせた。
 保護者兼ガイドである板地テンは目を細め、若いケモノたちを微笑ましげに眺める。やれやれ、どうにも、山長代理のムササビの思惑通りになりそうだ。
「私はこのあと家事をしたり子供の面倒見たりしなきゃならないから、適当に食べたら適当に寝てね。報告は……ああ、スマホの練習も兼ねてメッセージを送っておいて」
 テンはテーブルに肘をついたまま、ひらひらと他意無く片手を上下に振る。

 たぬ子は、面倒臭いと思った。
 これまで巣穴に閉じこもり、ドングリやらネズミやら家にあるモノを好きな時に好きなだけ食らい、腹がふくれたら眠るようなぐうたらの日々を送っていたから?
 それとも、飯を用意してくれる母がいたから?
 職場からの帰り道に落ちていたザクロを届けてくれる父がいたから?
 お裾分けだとか手土産だとかいって、ちょくちょく巣穴に顔を出してくれる旅鳥たち、各地を旅する流れモノがいたから?
 ……食事処の残飯をちょろっとばかり頂戴しても、誰も咎めたりしなかったから?
 頭の中で、たくさんの疑問が生まれるが、いやいやしかしと首を振る。
 働かざるもの食うべからず、タダより高いモノはないだ。
 もし、今ここで飯を分けてはくれぬかとテンに交渉したとしよう。テーブルの向かい側で両肘を付き、彼女はこちらを伺っている。口元に携えている微笑は? 罠だ。絶対に罠だ。飯をくれとでも言ったが最後、後々までそれを言い分に難題を押しつけてやろうという魂胆にしか見えない。どれほど見た目が小柄で女のたぬ子から見ても可愛らしいケモノといえど、テンとて哺乳類肉食目。狩りの上手さや敏捷性は狸ごとき屁でもなく、軽やかに追いかけてはその鋭いツメで鷲掴みにし、引き摺っていくに違いない。
 そんな未来がやたらと生々しく脳裏に浮かび、たぬ子はもう一度、先程よりも強く首を振った。そうだ、これは、社会見学。自立・自律が求められる人間実習なのだから。
「お財布と、携帯だけあればいいよね!」
 己を鼓舞してたぬ子は立ち上がる。
 テンは少しだけ目を細め、微かに頷いた。

 財布とスマホ以外の荷物を部屋に置きに戻り、アパートの前でコン介と合流する。
 たぬ子が階段をてぽてぽぽてぽとリズミカルに下りていくと、コン介は既に待っており、慣れた手つきでスマホを弄くっていた。それから、どちらともなく足が動き始める。
「さっき下りた、駅の斜め前くらいにあったよね。コンビニ」
「うん」
「方向、こっちでいいよね、確か」
「うん」
「……」
 歩き始めてもコン介はスマホから目と手を離そうとしない。返事も素っ気なく、たぬ子は少しばかり苛立ちを覚える。
「……危ないからやめたら? なんか人間的にも禁止っぽいじゃん」
「大丈夫大丈夫」
「いや、私が無意味にむかつくからやめてほしい」
「いやいや……たぬ子も絶対喜ぶんでやめない」
 のらりくらりと返しながら、コン介はニヤリと笑う。
「……よし、できた」
「うん?」
 たぬ子の疑問より先にコン介は何やら作業を終えたらしい。高々とスマホを持つ腕をあげて大袈裟に振る舞う。
「じゃーんッ! GPSの位置情報を利用した、自宅の登録とルート設定の完了ー!」
「……は?」
 それに対してたぬ子は酷く冷めた様子で短い疑問を返す。少しずつ積もり続けていた怒りが語気を荒くさせる。
「……えーと、衛星的なものを利用して、俺ら周辺の地図を出して、万が一迷子になったとしても自宅に設定してある住所……テンさんちまで帰られるように、ですね……」
 機械に疎いたぬ子に対して、自分が行った作業を説明する虚しさにコン介は視線を逸らす。先程の元気は何処へやら、今では消えいりそうな蝋燭の火同然である。
 たぬ子もまた、大凡彼の態度と作業の意味は理解したものの、素直に喜べる気分ではなかった。予め何か言ってくれたらよかったのに、と、思ったけれども今更口に出来るはずもない。所々に外灯がある一本道を、二人はしばし無言で歩く。空気を読んでか或いは日が落ちて冷え込んできたからか、光に集まる羽虫も見かけない。その代わり、駅の方面からやってくる人間は、ぽつりぽつりと擦れ違っていった。挨拶も目配せもなく、ただただ擦れ違う。
「……昔さ、山から初めて化けて下りた時『擦れ違う人には元気よく挨拶しなさい』って教わった」
「ああ、俺も」
 たぬ子が前を見据えたまま、ぽつりと呟く。コン介も静かに同調した。
「人間にも色々あってさ、最近は物騒だからあまり挨拶とかやらないらしい、って親父から聞いたことがある」
「なんか雰囲気変わってるよね。昔、私らの髪の色は超目立ってたのにさ、今はみーんな茶色とか黄色とかになってるもん」
「だなあ。こりゃ、迷子になったら探すのに骨が折れるね」
 そう言ってコン介はククッと笑った。
 まだ幼い二人が街へ下りた時、しばしば迷子になったことがある。コン介が好き勝手走り回り、取り残されないように追いかけたたぬ子も巻き添えとなることが頻発した。でも当時は外人風でもない目鼻立ちの子供が二人揃って髪の色が明るいという事はそれなりに目立っていたから、多少距離が離れていても人混みの中で見つけやすかったらしい。それでも背丈が小さくすばしっこい子供を見失うことはたやすく。ゆえに出掛ける先々で「高尾様ー高尾、たぬ蔵様ー、お連れ様が……」というアナウンスを流され、たぬ子の父ことたぬ蔵は頭を抱えていたという。その隣でコン介の父ことコン三郎がクックックと笑っていたが、続けざまに「森山様ー、森山コン三郎様ー」とアナウンスが流れまいか内心かなり冷や冷やしていたらしい。
 余談だが、そういう父らの苦悩が、今、防犯ブザーとスマホという形で与えられた事をたぬ子とコン介は知らない。
「でもさ、なんでまた、髪の色を変えだしたんだろうね?」
 たぬ子はなんとなく呟いた。
 駅に近付くにつれて、徐々に人の数が増えてくる。ガタンゴトンと電車が行き来すると、その都度吐き出された様に駅から人間が出てくる。年齢も、性別も、髪の色も背丈も服の色も全部バラバラな人の波。
「んー……保護色なんじゃない?」
「あ」
 そつなく返したコン介の答えにたぬ子の中で何かが合致した音がした。
「人間の髪はカメレオンとかみたいに器用じゃないから、薬的な何かで頑張ってるんだよ
多分」
「あー、そっか。なるほどなあ……。じゃああの集団が個々で見るとバラバラなのは迷彩のつもりかな。襲われない様に」
「んー、どうだろう。人間って群れはするけど、我も強いからなー。駅から出てくる様子だと、あまり群れって雰囲気じゃない……ような気がする」
「んー。群れ、か。それじゃあ職場とか友人とかの親しさに併せて擬態している可能性があるね」
「あー、それなんか近いかも。微妙に人間くさくてわかる」
 駅が見える様になると人間は大きく三つに分かれて進んでいるようだ。ひとつは先程から二人と擦れ違う、駅に背を向けて進む人たち。その流れを遡るように、たぬ子とコン介は進んで行く。東京とはいえ、23区外の小さな駅だ。電車も各駅停車しか止まらないから、人数にして、20~30人といったところだろうか。電車の到着に合わせて人は溢れるが、高尾山口駅と比べたら二人にとってそれほど脅威でもない。
 それから、踏切方面に向かって進む人たちもいる。一本道のうち、コンビニよりも奥の暗がりに向かっていく流れだ。そしてもうひとつが、駅の斜め向かいにあるコンビニに吸い込まれる様に入っていく人たちの流れである。
「……晩ごはん、買い占められていたらどうしよう」
 一抹の不安と、昼間のごとく眩しい光が溢れる店内に早く入りたい焦燥。自然と足は速くなる。
 今日、何を買って、食べよう。
 期待に胸が高鳴る二人は気づかない。背後から見つめる小さな影が、ひとつ。