10話 コンビニ

 そこはまるで、異次元であった。
 帰路につく人々が駅から吸い込まれていく小さな平屋建ての建物は、入ってみると存外広い。食器用洗剤から文房具などの生活用品、携帯電話の充電器や電池などの小型電化製品、更に僅かでこそあるが下着やYシャツまでもが並べられている。
「ここは……何でも屋さん!? 24時間営業の何でも屋さん!?」
 店内をざっと見渡して、両目をこれでもかと開いてしまうのは私こと高尾たぬ子である。
 一方、人間かぶれの幼馴染みこと森山コン介は「フーン」と機嫌良さげに店内を見渡すのみである。しかしその双眸に映る好奇の色は全く、一切隠しきれていない。
「このコンビニにはないけどさ、最近はイートインっていうコーナーを設けている店舗も増えてきてるらしいよ。お店で買ったものを、店内で食べられるコーナー」
「ええ……、それはもうなんていうか……」
「なんていうか?」
「布団を持ってきて住みたいレベルだね!」
 たぬ子の純朴な感想に、コン介は苦笑を返す。
「いや、でもさ、コンビニって結構高いんだよ? 値段的な意味で」
 コン介の後ろをたぬ子が追うような形で店内を回り、チルド食品や弁当が並ぶ一角へと至る。
 帰宅する人間をターゲットにして、商品を補充したばかりなのであろう。弁当、パン、おにぎり、パスタ、サラダ、デザートからアイスまでが充実していた。
 たぬ子には、どれもこれもが美味そうに見えた。確かにコン介の言うとおり、ボリュームに対して量が少ないようにも感じられた。それでもまあ、財布の紐がいくらか緩んでいる今夜だけなら、払ってしまってもいいかなと思える値段である。まあ24時間営業の代償……手間賃のようなものだと考えればほぼ納得ができる範囲だ。
「俺だったら、500円でこのちっちゃい弁当買うよりも、500円の立ち食い蕎麦とか食べてみたいけどなー」
「きっと調理とか保存とか容器代とかも含まれてるんだよね。別に料理しろとは言わないけど、狩りできなくなりそう、人間」
「実際、個人差がやばいらしいよー、人間の自給自足能力。山で遭難して三日くらいで死ぬ場合とかも、あるとかないとか」
「水を奪われた魚みたいな話だね……」
「でも南の無人島で数十年サバイバルした人もいたりするんだよなあ」

 狐が先か人間が先かという話になってしまうのだが、化け狐の多くは人間に好感を抱いている。正確には、いいように人間で遊んで、事の顛末を楽しむ傾向にある。
 その昔、人間の世界に鬼やら悪霊やらが多く出回っていた時代、流星の如く生まれて英雄となった人間の陰陽師がいたが、その者は化け狐と人間の混血であったという噂がある。はたまた別の女狐は当時権力を誇っていた天皇の妻として寵愛されたこともあるというし、海を渡った中国でも皇帝の妻ともなったとも伝えられている。全く、狐どもはなんとも噂好きだと、生粋のホンドダヌキたるたぬ子は思ってしまう。
 それでも若い狐たちの多くは「美女に化けて人間と結婚すると玉の輿を得る」と夢想するのだ。限りなく叶うことのない願望であり、無謀で漠然とした希望である。現実という苦難の道で年を重ねていくうちに諦める者も多い。子供が冗談で口にする夢物語である。調子の良いコン介でさえとっくに、自分には無理だと思っている話だ。
 森山コン介は先祖代々高尾山に住んでいる一族の狐である。歴史は古いが別に大金持ちでもないし、血統書付きというわけでもない。ただ家系図がでかいだけの一般獣である。
 コン介の父こと森山コン三郎も山中役場の土木課の隣にある観光商工課の職員でしかない。余談だが、たぬ子の父こと高尾たぬ蔵とは幼馴染みである。
 しかし狐たちはその性質から得てきた知識や知恵、人間の文化や社会の動向を察知する力は、山の中でもトップクラスであった。
 だから、人間と恋に落ちて人間に化けて暮らす板地テンの異種結婚に対しても抵抗は薄く、寧ろ憧れが強い者たちが多かった。彼女の婚約から結婚、妊娠や出産など様々な場面でイタチや貂一族も驚く勢いで暗躍していたのだ。それは板地祭りと呼ばれ、多くの狐たちにより後世まで末永く伝えられていくのであった。 

「あー、でもさ、こんなにあると迷うよ! 何食べるか!」
 コン介は肩を少しだけ竦めて、全く困っていない様子で言った。内心もう決まっているような口調だ。
 予算は少し奮発して1000円程度にしておこうと先程たぬ子と夜道を歩きながら決めていたのだ。店内をうろうろと動き回っては視線を落とし、或いは上げ、時にパッケージを手に取って価格と内容を吟味する。
 今夜はコン介の部屋で、二人で飯を食べようとも決めた。どこはかとない心細さを、寒さが後押しした。主な毛が頭髪しかない人間の身体は、思っていたより遙かに寒さに弱かった。最初から服を着るを前提にして進化を遂げたのだろうか?それもまた非常に興味深いとコン介は思う。そうだ、今度、憧れの渋谷に行ってみよう。ナイスな毛皮を買いに行きたい。
「うーん……いや、私はもう、ちょっと、いやほぼ、心は決めてる……かな?」
 たぬ子は先程からちょいちょいとレジカウンターの方に視線を送っている。
 ホットスナック、中華まん、そしておでん。
「山のお店にもおでん売ってたけど、ここのおでんは自分で好きなのを選んで取れるみたいだよ! あと、柚胡椒とか味噌だれが貰えるんだって! じゃがいもとか、ウインナーとか、ロールキャベツのおでんがあるみたいなんだ……!」
 そわそわと、そしてひそひそと応じながらたぬ子は背後の様子を伺う。
 近隣の住民と思しき装いの男性が、おたまで薄く濁った汁を掬っていた。その横には「〆のうどん 150円(税抜き)」という看板も見える。
「ふーん……じゃあ、俺は、これにしよっかなー」
 コン介は機嫌良く鼻を鳴らしながら、ナポリタンカレーを選んだ。ナポリタンとカレー、そして大ぶりの海老フライが入った満腹弁当である。550円。
 コン介はその足でパンコーナーへ。コロッケパン、120円。
 更にドリンクコーナーに行き、ペプシコーラの500mlボトルを取る。あっという間にコン介の両手はいっぱいになってしまった。
 たぬ子もコン介の後を追いながら、いつの間にか生クリーム大福と焼きおにぎりを手にしている。
「先に会計してる、よ!」
 まだ何か追加するかしまいかを悩んでいる素振りをするコン介の背に、たぬ子は軽く声をかけてレジへと向かった。
 正確には、レジに隣接するおでんコーナーである。
 おでんの汁は白く濁っており、横にはずらりと並ぶ具の一覧と価格を書いたものが置いてある。
 さあて、どれを、選ぼうか、と、たぬ子はおたまを手にする。先程の男性と同じように、そつなく選べばいいのだ。運良く実演を見られたタイミングに感謝する。取り敢えず、ロールキャベツは確定だ。いざ!
「お取りしましょうか-?」
 若い男の声。たぬ子はびくっと身を竦ませ、次にきょろきょろと辺りを見回した。カウンターの向こうにいる人畜無害げで平凡な顔の男性従業員がたぬ子を見ていた。
 たぬ子はパニックになりかけた頭に深く吸い込んだ酸素を送りながら、首を縦に振る。
「じじじじじじじいぶんでやれます!」
 ……やってしまった、と、思った。申し出を受け取りながら、本心が口を出てしまった。
 これは怪しまれるかと思いきや、店員は「わかりましたー」と返し、レジの方へと行ってしまう。親切を無碍にしてしまった? それとも深い意味はなかったのだろうか。いや、でも、先程見た男性も自分でおでんを選んでいたぞ。落ち着いて考えよう。落ち着いて……そうだ、もしかしたら、あの店員さんは、手が空いている時やたぬ子のようなあからさまな初心者に対しておでんの取り方をレクチャーする業務もあるのかもしれない。そして、その流れで、他の食品よりもなんとなく無防備に晒されているおでんが盗まれないかを監視しているに違いない。おでんが他の食品と比べてレジに近いということも踏まえると、恐らくそれほど的外れではないはずだ……。おそらく。
「大丈夫、大丈夫、別に怪しまれている感じは無い……」
 自分に言い聞かせる。たぬ子のおしりがむず痒い。此処でなんとか踏ん張らなければ、公衆の面前でポポコーンッと尻尾が飛び出るマジックショーが始まってしまう。なんとしても耐えねば。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫……あ、ロールキャベツあった」
 白く濁った鶏の香りがするスープの底から、俵状の黄緑色が見える。
 また、ポッポコーンと尻尾が飛び出しそうになる。危ない。
「焦っちゃ駄目、気を抜いても駄目。慎重に、慎重に……わっ! ちび太郎のおでん!!」
 こんにゃくと薩摩揚げ、ちくわが一本の串に刺さったおでんを見た瞬間、とうとうたぬ子の忍耐の緒が切れてしまった。
 ポッコポコーンッに気づいた時はもう遅い。両目を見開く。棚の向こうでコン介が引きつった顔をしている。

「大丈夫か。嬢ちゃんや」
 スッ、と、たぬ子の背後に回る影があった。
「今ンちにその尻尾、隠しちまい。儂の陰になっとるうちにな」
「……はははははははいい!」
 たぬ子は慌てて尻尾を隠す。ポゥフゥと微かな音がして、飛び出た茶色く長い尻尾は身体に馴染むよう消えていった。
「おうおう、なかなか、上手いじゃあねえか」
 漸くたぬ子は振り返る。皺だらけの手がポンポンと、たぬ子の頭を叩く様に撫でた。それだけで、たぬ子はなんだか懐かしくなってしまって、見ず知らずの誰かに親しみを抱く。人間に化けたってわかる、漂ってくる獣の匂い。
 それは記憶に新しいジャンパーの色。肩幅は広く、細身だが背が高く、そして猫背。そう、丁度たぬ子の前でおでんを掬っていたモノ。男はたぬ子の顔を見てニッ、と笑う。

「たぬ子、大丈夫? なんか今超すげーヤバく……」
 慌ててコン介が駆け寄った時にはたぬ子の尻尾は消えていたし、男も距離を取っていた。
 店員はちらちらと眺めていたが、妙に親しげで友好的な男の様子にたぬ子らの知人だとでも勝手に判断したのだろう。特に何かのアクションをする素振りもなく、レジ打ちを続けている。
 大凡にして三十半ばから五十歳手前だろうか。頬と顎とには雑に伸びた髭。それを触りながらたぬ子とコン介を交互に見る。古びたジャンパーからはみ出て見える腹巻きからは獣くささとニンゲンくささの両方が溢れ出ていた。
「大丈夫大丈夫。儂がヒョーイっと来て、上手く隠してやったから」
 その微笑む仕草ひとつにも、コン介からすると奇妙な親しみ易さを覚える魅力が感じられる。
「……っ、えっと、ありがとう、ございます。ええと……?」
 未だに硬直しているたぬ子の代わりに、コン介は戸惑いながら礼を述べる。そして困惑気味に言葉を濁した。
 男は改めてニッコリと笑い、猫背を少しだけ正す。その左手には、会計済みのおでん。茶色いビニール袋の中で揺られている。彼は右手の親指をぐいっと上げて、自分の顎を指した。

「儂は箱根古崎メープル。しがねえ宿無しマチ猫よ」