平成最後の夏の終わりの

#創作夏祭り企画 参加作品 お題「金魚掬い」

「はああああ、夏が終わってしまうぅぅうー」
 わざとらしいほど芝居がけ、田端夏希は長い嘆息を零した。平成最後の八月の終わり。そのまま正面から、ゆっくりとテーブルに突っ伏す。グラスや文具の類いは、器用に避けて。
 冷房が効いたファミレスの一角。テーブルにはめいっぱいの参考書やペーパーを広げて、二人の少女は茶を啜っていた。
「きーさーまーのきーせーつーがーぁ、来ーてーしーまーうー」
 続けて謂われの無い恨み言が連なると、夏美の向かい側に座っていた巣鴨秋葉は思わず吹き出してしまった。
「あー……ああ、秋が来るって意味で?」
 含み笑いを少し言葉に漏らしながら、秋葉は問い返した。夏希は突っ伏したまま、器用にコクリと頷く。無作為に広がったショートボブが、微妙に前後に揺れた。
「学校が始まるのに宿題は終わらないし、そうこうバタバタしている間に一瞬にして日本中の夏祭りもなくなっちゃうんだよー?」
 ゆっくりと身を起こしながらも、夏希は先程より明るくなった口調と気落ちした面持ちで同意を求める。手を伸ばしたウーロン茶は氷が溶けて既にぬるくなっていた。
 秋葉は膝にかけていた薄手のカーディガンを手に取り羽織る。夏希とは対照的に秋葉にとってファミレスの店内は冷房が効き過ぎていた。
「まあ、でもさ。今年は学校が始まるの、九月三日からだから二日お得じゃん? ついでに、一日・二日は三角公園のお祭りもあるしさ」
 それでもまあ、夏希の言い分は分からないでも無い。秋葉はティーカップを両手で包んだままテーブルに肘をつき、いかにも今思い出したかのような口ぶりで応じる。
「まだ浴衣、着られるよ?」
「…………」
 夏希は何も言わない。またこめかみをテーブルに当ててうなだれている。
「花火大会も、足を伸ばせば結構九月末とか十月とかまでやってるところあるし」
「…………」
「そういうのはたいてい大きなお祭りだから出店もあるだろうし、土日ならうちの親が駅まで送ってくれるかも……」
「……っ、っ、ちっがーうー!! アキってば全然何にもわかってないー!!」
 すっかり宥める調子でいた秋葉は、それまで諦めのついた魚の如くまたテーブルにこめかみを押しつけていた夏希が「ガバッ」のオノマトペと共に起き上がったのに声が詰まる。驚愕と困惑じみた疑問という二重の意味で。それから遅れてやってくるのは、この場所がファミレスの店内で、まばらな客らの視線のことだ。
「え、え、私、なんか変な事、言っちゃった? でも、夏希、ちょっと声おっきいよ」
 戸惑う秋葉を正面から見る夏希の顔には、意思疎通が上手く出来ていない不満とは全く別の憂いが滲んでいた。

「…………金魚がさ」
 数分数秒が、お互いに長く思えた。夏希がゆっくりと口を開く。
「夏祭りの金魚がさ、そろそろ死んでいっちゃう季節なんだよね……」
 溜息と共に呟いて、夏希はウーロン茶を飲み干した。
「なんか飲み物取ってくる。アキは?」
「あ、いや、まだポットにあるから、大丈夫」
 席を立ったのは、気分を切り替えたいからだろうかと、秋葉は思った。
 夏希と秋葉は高校に入ってからの付き合いだが、夏希が祭り好きであることは重々承知していた。していたつもりだった。
 射的ではほぼ百発百中だし……絶対に獲得できる景品を片っ端から狙うからだけど。
 ヨーヨー釣りも、取りすぎて小さな子供たちが囲みを作るくらい獲得して、持ち帰れないからと出店に返すほどだし……これまた確実に取れるヨーヨーを狙うのと、夏希はもらった針の半紙をしっかり自分で縒りなおすからだ。
「死んだおじいちゃんが教えてくれたんだよ。ちょこっとだけ唾をつけて、根元からちゃんとネジネジするんだ。針と紙の境目もしっかりね。あまり長く弄くってると不審に見られるから、手早くしっかり縒り縒りするのがコツかな」
 夏希は毎年そう口にして笑った。
 だけれども、夏希が一番得意なものは、本当は金魚すくいだ。薄っぺらい半紙だろうが頼りない最中だろうが関係無く、彼女は金魚掬いを得意としている。だけれども、もう、一度も持って帰ったことはない。
 いつだっただろう? 夏希が話してくれた気まぐれ。

 ―― 私、金魚掬いの金魚を、一年育てられたこと、ないんだよね。餌もあげて、水槽も浄水器付けたり、しょっちゅう水を替えたりしてさ、でも死んじゃうんだよね。夏が終わるくらいに、みんな死んじゃう。悔しくて悔しくて毎年毎年「今年こそ」って思ってさ、でも、いつだったかなあ。中学生になって、やっとかな。うん、やっと、だねえ。元々「そういう寿命の金魚たち」っていうか「そういう寿命になっちゃうような世界で生きてる金魚たち」っていうか。だから金魚掬いで、金魚を持ち替えるのはやめた。それでも掬いたくなっちゃうのは、なんでだろう。懐かしくて、やっぱり悔しくて、怖いからかなあ。今年も夏が終わったら、あのお祭りの金魚たちは、どうなるんだろうね。やっぱりみんな、死んじゃうのかなあ……――

 ……きっと、夏希にとって、夏は特別な季節なんだ。
 秋葉は改めて思う。
 それは決して単なる生まれた季節や名前による愛着だけではなくて、夏希曰く「祭り荒らしだった死んだ祖父」と過ごした加速的な日々の記憶に裏付けされた彼女史なんだろう。何度も繰り返した試行錯誤と現実、諦観と後悔と、あとは一体なんだろう?
 夏希は毎年毎年夏が来ると、肌だけではなく心まで思いっきり日焼けして、夏の終わりの象徴と共にささくれだらけになるんじゃないかな。些細なことで薄皮一枚、ふと剥けてしまって、その度にジクンと痛むに違いない。
 固執、憂愁、感傷、感情、それらは全く同一ではないけれど、近からずでも遠くないものが秋葉もふと覚えがあった。
 平たく言ってしまえば「わかっているけれどどうしようもないもの」。
 さらに言ってしまえば「本人以外にはそれほど大切でも何もないもの」。

 だけれども、それは、夏希自身の問題なんじゃない?

「ただいまーあ」
 氷が山ほど入ったメロンソーダを片手に帰ってきた夏希は、相変わらず怠そうな振る舞いで、だけれどもさっきのような芝居臭さはなかった。目の前の白紙の宿題に現実を知って瞳が座っている。
「夏希、やっぱり私も手伝うからさ、今日中に全部終わらせちゃおうよ、宿題」
 秋葉の提案に夏希はあからさまに顔を顰めて抗議を示す。
「学校が始まるのが三日からだってさっき話してたのにー!?」
「だって、私、一日と二日は夏希と三角公園のお祭り行きたいもん」
「それでも日中暇じゃんー」
「日中はかき氷を食べて、映画を見て、夕方になったら浴衣を着て、夏希に金魚掬いとか射的とか、お祭りが終わるまで特訓してもらうし」
「やだよ、そんなの、出店で破産するー」
「あ、それは平気。私は下手くそだからめちゃくちゃ破算するかもしれないけれど、夏希さん・・・・なら金魚だろうとヨーヨーだろうといくらでも・・・・・できるでしょ?」
 全て想定内の会話だと、秋葉はにこりと笑う。
「くっ……、アキ、やはり貴様、私がお祭りだと断れないって知って……!」
 うぎうぎぐぎぎと呟きながら、夏希は乱暴にシャーペンを取った。
「もう! わかったよ! 二日分の指導料は、りんご飴の一番おっきいやつだからね!!」
 既に殆んど終わる目処がついている秋葉は、夏希の様子にふと微笑んで、まだ手が付けられていない感想文の該当図書を手に取ってみる。運良く秋葉と同じ本だし、夏希も一応最後まで読みはしたのだろう。挟まれた付箋と、ルーズリーフにざっくりとまとめられた本文構成もある。
 テーブルの端に出してある数学と化学、生物と現代文の冊子も夏希の許可無く勝手に見る。特に苦情がこないのは、現在、古文と格闘中だからだろう。
「ああ、そうそう。浴衣は来年も着られるけれど、制服は来年着られないからね」
 冗談めかした秋葉の言葉に夏希は更に顔を顰める。これ以上ない程顔をしかめる。
「……留年しま」
「駄目でーす」
「浪人は……」
「浪人しても高校の制服は着ないよね」
 ふふ、と秋葉は笑った。
「来年もいっぱいお祭り行きたいし。手伝える所は手伝うから、ホント頑張ろうね」
 夏希はまたこてん、とテーブルに頭を乗せて「うえーい」とも「うへーい」とも聞こえる小さな返事をした。
 メロンソーダの氷がひとつ、諦めたようにカランと音を立てて崩れた
けども、細やかな気泡が浮かんでは音も無く弾けた。
 緑色した炭酸水をガラス越しに見る夏希には、何故か無性にそれが夏の終わりに思えた。そして、ぽつりと呟く。

「…………明日、ラムネも、飲も」

【完】